『退職者フォルダの空白』

査定面談が始まると、課長は評価表をこちら向きに回した。

総合評価はD。理由欄には「重要顧客への報告を三度失念」とある。係長への昇格候補だった社員は、椅子の背から静かに体を離した。

「三度とも、私は報告しています」

「記録がない。言い訳は評価をさらに下げるぞ」

同席した人事担当が、退職者用フォルダのことを尋ねた。先週辞めた前任課長が、引継ぎファイルを一つ残していたのだ。現在の課長は「空のフォルダだった」と答えた。

人事担当は共有画面を開いた。確かに中身は空白だった。ただし、フォルダの容量はゼロではない。

削除済み項目を表示すると、「顧客報告_送信控え」というファイルが現れた。三通のメールが保存され、すべて社員から顧客へ送信されている。CCには前任課長と、現在の課長が入っていた。

課長は肩をすくめた。

「メールなら後から作れる。送信控えだけでは証拠にならない」

人事担当は送信サーバーの記録を出した。日時も宛先も一致する。さらに、顧客からの返信を課長が開封した時刻まで残っていた。

「見落としただけだ。評価時点では確認できなかった」

社員が初めて口を開いた。

「評価表はいつ作ったんですか」

「月末だ」

退職者が残したファイルには、評価表のコピーもあった。前任課長が退職前日に保存した版では、社員の評価はA、報告実績は「全件期限内」。その翌朝、現在の課長がファイルを開き、AをDへ変えていた。

「前任者の評価が甘かったから修正した」

人事担当は画面の右端を示した。変更時刻は午前七時五分。課長の入館は八時四十八分だった。

課長は、在宅から接続したのだと言い換えた。

「その日は全社ネットワークの保守日です。社外接続は停止していました」

残る可能性は、前日に仕込んだ自動処理だけだった。削除フォルダから、もう一つ小さなファイルが復元された。「評価置換マクロ」。作成者は課長、設定日は前任課長の最終出社日。AをDへ、報告実績を失念へ置換するよう指定されていた。

前任課長は止められなかった。だから証拠だけを、空白に見える場所へ残したのだ。

人事担当は評価表を閉じた。

「昇格見送りを取り消します」

課長が息を吐くより早く、社員の画面に係長任命の通知が届いた。