『旧姓で届いた苦情』
中途採用面接で、真壁崇文は前職の退職理由を「部下との価値観の違い」と説明した。
「ハラスメントの申告があったそうですが」
久世理央が尋ねると、真壁は残念そうに首を振った。
「小田切という社員が、指導を逆恨みしたんです。私は申告があったことすら、退職後に知りました」
同席した営業役員が、よくある行き違いだろうと助け舟を出した。前職照会にも「処分歴なし」とあり、採用票にはすでに二つの丸が付いていた。真壁は勢いを取り戻し、申告者は感情的で、会議を無断欠席し、顧客資料も消したと語った。
久世は一通のメールを映した。件名は「面談記録の確認」。送信者は小田切理央、宛先は人事部、CCには真壁崇文が入っている。
「CCに入っていても、読んだとは限りません」
「そうですね」
久世が開いたのはメールサーバーの配送記録だった。真壁の端末へ配信された時刻は九時十二分。添付された面談記録は九時十六分に真壁のIDで開かれ、九時二十一分には共有フォルダから削除申請が出ている。
真壁の頬が、目に見えてわずかに引きつった。
「部下のIDを使うこともありました」
「削除申請の直後、会議室『榎』をあなたが予約しています。利用者はあなたと小田切の二名。欠席したはずの人を、なぜ呼び出したんですか」
「昔のことなので」
久世は名札を外し、机に置いた。裏面には、結婚による氏名変更の記録が印字されている。
久世理央――旧姓、小田切。
「その部屋であなたは、申告を取り下げなければ評価を下げると言いました。録音はありません。だから私は、あなたが『知らなかった』と言うのを今日まで待っていました」
真壁は初めて役員の方を向いたが、役員は、今度はもう助け舟を出さなかった。
久世は面接票の採用候補という印を黒く塗りつぶした。
「価値観の違いではありません。事実を知っていた人と、知らないふりをした人の違いです」