『退職届の余白』
巡星物流の退職面談で、瓜生啓太は退職届を机の中央へ滑らせた。
三期連続D評価。昇給なし、主任候補からも除外された。理由欄には〈指示待ち、改善意欲に乏しい〉とある。人事の柊木沙耶は、受理印を持ったまま尋ねた。
「本当に、ご自身でもそう思っていますか」
「評価する側が三年そう書いたんです。もう反論する気力もありません」
同席した配送部長は腕を組み、「本人も納得している」と言った。
柊木は昨年の評価PDFを画面に出した。部長の電子署名があり、啓太の総合点は二・〇。ところがプロパティを開くと、署名時刻より二日後に本文だけ更新されていた。署名画像は動かず、点数と講評の層だけが差し替えられている。
「PDF変換の誤差だろう」
「では、こちらは?」
柊木が開いたのは、評価確定前に部長が役員へ送ったメールだった。啓太もCCに入っていたが、当時は件名だけ見て保管していた。添付された原案では総合A。講評には〈運行再編を主導。次期主任に推薦〉とある。
部長は「役員から下げろと言われた」と言い直した。
だが役員会議室の予約記録では、その評価調整会議は部長一人の利用になっていた。議事録も出席ログもなく、共有フォルダへのアクセスは二十三時四十八分、部長の自宅VPNからだけ。さらに同時刻、主任候補だった部長の娘婿の評価がBからAへ上がっていた。
柊木は主任候補者一覧も開いた。啓太の名が消えた同じ更新で、娘婿の実績欄へ啓太の運行再編案が貼り付けられている。文中の路線番号だけ直し忘れ、娘婿が担当したことのない北港便が残っていた。評価を下げるだけでなく、成果の移送まで一度の操作で済ませていた。
啓太は初めて部長を見た。「枠を空けるためですか」
部長は答えなかった。
柊木は受理印を置き、退職届の余白に〈受理保留〉と書いた。
「あなたの意思を無視する処理ではありません。ただ、会社側の虚偽を前提にした退職届を、そのまま確定させることもできません。原評価Aで主任選考をやり直します」
啓太はしばらく紙を見つめ、退職届を自分の側へ引き戻した。柊木はその動きを確認してから、部長の評価権限を停止した。
退職届は、最後まで受理印のないまま机に残った。