こだまは「さようなら」だけ返した

こだま谷では、二人が同じ気持ちで発した言葉だけが山から返る。

「寒いね」と同時に思えば、岩壁が〈寒いね〉と返す。

片方だけの「楽しい」は、風に吸われて消える。

だから谷の民は、告白を山へ向かって行った。返事より先に、相手の心が分かるからだ。

薬草採りのミュネは、旅の治療師ファロウを好きになった。

彼は一年、谷の診療所で働いた。

子どもへ苦い薬を飲ませるとき自分も同じ顔をし、老人の長話を最後まで聞いた。

ミュネとは毎朝山へ入り、薬草の名前を教え合った。

春、ファロウは北の疫病地へ向かうと決めた。

出発前夜、二人はこだま岩へ登った。

「怖い?」

ミュネが訊く。

「怖い」

山が二人の声で〈怖い〉と返した。

「行きたい?」

「行かなければ後悔する」

その言葉は返らなかった。

ミュネは彼に行ってほしくなかったからだ。

月が谷を白くした。

ミュネは何度も息を吸い、ついに言った。

「ファロウが好き」

山は沈黙した。

彼の顔を見る前に、答えは分かった。

それでもファロウは逃げなかった。

「ごめん。ミュネを大切に思っている。でも、同じ好きではない」

「山より丁寧ね」

「山は説明が下手だから」

ミュネは笑おうとして、泣いた。

「優しくしないで。こだまが勘違いする」

「山はしない」

「私がするの」

二人は岩に並んで座った。

恋が返らないと分かったあとも、夜明けまで話すことはできた。

ファロウは北の町の地図を見せ、ミュネは帰り道で役立つ薬草を包んだ。

朝、谷の出口で別れた。

「元気で」

二人が同時に言う。

〈元気で〉

こだまが返った。

ファロウが歩き出す。

ミュネは最後に叫んだ。

「さようなら!」

彼も振り返り、同じ言葉を返した。

「さようなら!」

谷じゅうの岩が、何度も〈さようなら〉と響かせた。

好きは返らなかった。

けれど別れを惜しむ気持ちは、二人の胸に同じだけあった。

ミュネはそれを恋の返事にはしなかった。

山の声を、自分の望む意味へ読み替えないことが、届かなかった片思いにできる最後の誠実さだった。

こだまが消えるまで、彼女は谷の入口に立っていた。

返ってきたのが「さようなら」だけでも、それは確かに二人で発した言葉だった。