どちらの家にも丸をつけない

十一歳の悠臣の前に、二つの丸印が並んでいた。

母と暮らす。父と暮らす。

家庭裁判所の小さな面談室。机には青いボールペン。母は係員が席を外した隙に、前と同じ声で囁いた。

「お母さんを選べば、お父さんは自由になれるの」

前の人生の悠臣は、父を苦しめたくなくて母の欄に丸をつけた。

その日の夕方、父は何も言わずに家を出た。数年後、悠臣は母の机から借金の連帯保証書と、父が親権を諦めるよう脅された録音を見つけた。父は自由になったのではない。悠臣を守るため、すべてを背負って消えたのだ。母はその後も「あなたが選んだ」と繰り返し、どんな不満も十一歳の丸印のせいにした。

青いペンが、また指の間にある。

悠臣はどちらにも丸をつけなかった。

代わりに用紙の余白へ書く。

『母は今、父を選ぶと父が逮捕されると言いました。二人だけでは決めません』

母の顔から血の気が引いた。

「何を書いてるの。子供には分からないことよ」

「分からないから、第三者に聞く」

悠臣は机の呼び出しボタンを押した。前の人生では、母に止められて触れなかったものだ。

係員と調査官が戻る。悠臣は青いペンを置き、母の言葉を一字ずつ繰り返した。さらに、母がバッグへ隠した茶封筒を指す。未来で見つけた連帯保証書と同じ封筒だった。

調査官が中を確認すると、父の偽造署名が現れた。

母は「この子は父に言わされて」と叫んだが、悠臣は首を振った。

「今、初めて言いました」

別室から父が呼ばれる。前の人生の父は、悠臣が丸をつけた紙を見て、ただ「分かった」と答えた。

今回は白紙の二択と余白の文字を読み、膝をついて悠臣と目を合わせる。

廊下の時計が午後三時を打った。前の人生なら、その直後に父の代理人から親権放棄の通知が届いた時刻だ。

調査官の端末が鳴る。

表示されたのは放棄通知ではなく、面談延期と保全命令。

父は悠臣の肩を抱き、初めて違う言葉を言った。

「お前を置いていかない。今度は大人に、きちんと助けを求める」