ほどけた靴紐の代わりに
僕の右足の靴紐が切れたのは、クラス対抗リレーの入場門だった。
結び目から先が、ぷつりとない。予備の靴など持っていない。招集係は「あと二分」と叫んでいる。
「棄権する?」
叶絵が聞いた。第三走者のくせに、アンカーの僕より落ち着いていた。
「するわけないだろ」
「じゃ、足出して」
叶絵は髪を結んでいた赤いリボンを外した。肩までの髪がほどけ、風に散った。彼女はしゃがみ込み、切れた紐の穴へリボンを通した。細い指が急ぐほど震え、二度も穴を通り過ぎた。落ち着いて見えたのは顔だけで、本当は僕と同じくらい焦っていたらしい。
「卒業式用に買ったやつなんだけど」
「縁起でもないこと言うな」
「汚したら弁償ね」
細い布は頼りなかった。それでも二重に結ぶと、靴は足に収まった。
僕らのクラスは最下位でバトンをつないだ。叶絵は二人を抜き、乱れた髪のまま僕へ飛び込んできた。走るたび髪が頬へ張りつき、本人は邪魔そうに何度も首を振っていた。それでも赤いリボンだけは、僕の右足でまっすぐ結ばれていた。
「遼平!」
伸ばした左手にバトンが当たる。走り出した一歩目、赤いリボンが視界の端で揺れた。
抜ける。もう一人。残り百メートルで三位。足の甲が締まり、リボンの結び目が切れそうになる。僕は速く走るより、ほどけないように走っている自分に気づいた。
それが可笑しくて、力が抜けた。
ゴールでは二位だった。優勝には届かない。けれど僕は止まりきれず、砂場の手前まで走った。
叶絵が追いつき、膝に手をついて笑った。
「返して」
「今?」
「卒業式まで洗って乾かさないと」
僕が靴を脱ぐと、赤は泥と汗で茶色く変わっていた。結び目は固く、指ではほどけない。
「切るしかないな」
「だめ」
叶絵は僕の手をどけ、爪を傷めながら少しずつ結び目をゆるめた。クラスの歓声も次の競技の放送も、その時だけ遠かった。
やがてリボンが抜ける。真ん中には、小さな結び癖が残っていた。
卒業式の日、叶絵は同じリボンを髪につけてきた。
結び癖だけが、右耳の上で少し歪んでいた。