やばいは褒め言葉です
「やばい」は褒め言葉です
孫が何を見ても「やばい」と言うので、祖父は腹を立てていた。
「この料理、やばい」
「失敗したのか」
「おいしいって意味」
「この写真、やばい」
「捨てるほどひどいか」
「最高って意味」
「意味が反対になる言葉は、言葉じゃない」
祖父は断言した。
ある日、孫は祖父の若いころの手紙を見つけた。
〈今夜の映画、チョベリグ〉
〈あの喫茶店、ナウい〉
〈母さんには内緒。ばっくれる〉
「何これ」
祖父は慌てて奪った。
「昔の言葉だ」
「意味が分からない言葉は、言葉じゃないんでしょ」
「当時は通じた」
「『やばい』も今は通じる」
二人は家族語辞典を作ることになった。
〈やばい〉
一、危険。
二、とてもよい。
三、言葉にできない。
判定には表情が必要。
〈ばっくれる〉
約束などから逃げる。
祖父は若いころ、家業の手伝いから三回ばっくれた。
「回数まで書くな」
祖母が横から参加した。
〈お茶でも飲む?〉
一、お茶を飲む。
二、話を続けたい。
三、帰ってほしくない。
孫は驚いた。
「言ってることと意味が違うじゃん」
「大人は昔からそうよ」
辞典はだんだん厚くなった。
父の〈好きにしろ〉は、たいてい〈心配だが止め方が分からない〉。
母の〈あとでね〉は、半分の確率で忘れる。
孫の〈大丈夫〉は、本当に大丈夫なときと、説明したくないときがある。
祖父は使い方を練習し、夕食の煮物を一口食べて「これはやばい」と言った。祖母は味が濃いのかと尋ね、三人で祖父の顔を確認した。
祖父が病院で検査を受けた日、結果は問題なかった。
帰宅すると、孫が玄関へ飛び出した。
「やばい?」
祖父は少し考えた。
「今回は、よいほうのやばいだ」
「使えてるじゃん」
「辞典どおりだ」
祖父は照れ隠しに咳をした。
その夜、祖父が昔よく聴いたレコードをかけた。孫は黙って最後まで聴いた。
「どうだ」
「やばい」
「どっちだ」
「表情を見て判断してください」
孫は笑っていた。
世代が違えば、同じ言葉でも意味がずれる。
だから家族は、辞書だけで分かったことにせず、顔を見て何度でも聞き直す必要があるのだった。