オレンジソーダの昨日

最終電車のドアが閉まるたび、久我晴臣は十年前の夏へ戻った。

 午後十一時五十二分。向かいには二十二歳の親友、倉橋が座っている。手にはオレンジソーダ。窓の外には、まだ高層マンションになる前の古い商店街。

「終電、間に合ったな」

 倉橋は毎回そう言い、十一時五十七分に軍需企業からの採用通知を開く。翌月、海外拠点へ渡り、二年後に爆発事故で死ぬ。

 晴臣の目的は一つだった。通知の承諾ボタンを押させないこと。成功条件は、終点に着くまで倉橋の端末を未送信のままにすること。

 一周目、事故の未来を話した。倉橋は笑い、承諾を押した。二周目、端末を奪った。窓の外が白くなり、またソーダの栓が鳴った。三周目、採用通知を削除した。今度は車内広告の端末に同じ通知が届いた。

「終電、間に合ったな」

 四周目、晴臣は缶を床へ叩きつけた。

「行くな。おまえは死ぬ」

 倉橋はこぼれた炭酸を見つめた。

「じゃあ、おまえは十年後、何を失ってここへ来た?」

 晴臣は答えられなかった。妻と別れ、仕事も辞め、倉橋の事故を調べ続けた。人生の十年を、この五分に注ぎ込んでいた。

 座席の下から、古い制御箱の蓋が開いているのが見えた。中には〈過去接続中/乗客の選択が確定するまで運行を反復〉と表示された時刻装置。倉橋が就職を選ぶたび、晴臣が否定する。二人の選択が衝突する限り、列車は昨日から出られない。

 装置には停止方法が一つだけあった。

〈接続記録を破棄する。以後、この時点への移動は不能〉

 晴臣は倉橋を救う未来を探してきた。だが倉橋自身は、危険を知っても技術者として行くと言うだろう。何度止めても、別の道で同じ場所へ向かう。

 午後十一時五十六分。倉橋が承諾ボタンへ指を置いた。

「終電、間に合ったな」

「ああ。俺だけ、ずっと遅れてた」

 晴臣は時刻装置を引き抜いた。火花が散り、十年分の調査データを保存した腕時計も同時に焼けた。

 承諾の電子音が鳴る。電車は終点へ着いた。

 倉橋はオレンジソーダを一本、晴臣に渡して降りていった。未来は変わらない。爆発の原因も、救えた可能性も、もう確かめられない。

 現在へ戻った晴臣の手には、錆びた空き缶だけが残った。彼は事故現場へ向かう始発には乗らず、その缶を資源回収箱へ入れた。