ケチャップの文字は失敗ではない
宮廷魔術師ティルネは、喫茶店のオムライスを見て固まった。
黄色い卵の上に、赤いケチャップで「おつかれ」と書かれている。しかも最後の「れ」が少し潰れていた。
「術式なら発動しません」
「料理なので大丈夫です」
店員は平然とスプーンを添えた。
ティルネは円も線も正確でなければ気が済まない。召喚陣の角度は髪一本ぶんまで測る。昨日、王宮の温室へ降らせる予定だった霧雨が、廊下の一角だけを濡らした。誰も困らなかったが、彼女は報告書をまだ出せずにいる。
オムライスの表面は、呼吸するようにわずかに揺れていた。恐る恐る中央へスプーンを入れると、半熟の卵がふわりと開き、中から赤いチキンライスが現れた。バターの香り、炒めた玉葱の甘さ、ケチャップの酸味。柔らかな卵がそれらを丸く包んでいる。
「閉じ込めていないのですね」
「最近は、開くのも人気です」
「包む料理なのに」
「全部隠さなくても、オムライスです」
ティルネは潰れた文字の部分を食べた。味は、整った部分と何も変わらない。むしろケチャップが少し多く、酸味が鮮やかだった。
隣の席では、小さな子どもが自分の皿へ丸と棒だけの顔を描いている。母親は「上手」と言い、形を直そうとしなかった。
「失敗した霧雨も、温室の薔薇には届きませんでした」
ティルネがぽつりと言うと、店員は水差しを置いた。
「廊下はきれいになったかもしれませんね」
「そういう報告は通りません」
「では、起きた通りに書けばいいです」
食べ終える前に、ティルネは鞄から報告書を出した。〈術式座標を誤り、廊下に雨。被害なし。原因確認済み〉と書く。言い訳を足そうとして、やめた。
最後の一口には、卵の端の少し焼けた部分が入った。香ばしく、柔らかな中心とは別の良さがある。
店を出るとき、ティルネは空の皿を振り返った。赤い文字はすっかり消えていたが、バターとケチャップの匂いは袖に残っている。報告書の線は相変わらずまっすぐだった。ただ、その余白は以前ほど怖くなかった。