マスクを外した女
牧瀬は、開始と同時に酸素マスクを床へ置いた。
國枝と能登の目が見開かれる。二人はすでに顔へゴムを食い込ませ、背中のボンベから荒い呼吸を始めていた。
壁には一文だけが点灯している。
《十分後、個人ボンベの酸素残量が最も多い参加者を勝者とする》
「自殺する気か」
國枝がマスク越しにくぐもった声を出す。
牧瀬は答えず、床に座ってゆっくり鼻から息を吸った。冷たいが、苦しくない。警報も鳴らない。天井の換気扇は止まっているものの、室内は六畳ほどあり、開始時には普通の空気で満たされていた。
主催者は「各ボンベには十分分の酸素があります」と説明した。だが、「室内には酸素がない」とは一度も言わなかった。マスク、残量計、医療用の白いボンベ。その景色が、二人の頭の中で勝手に無酸素室を完成させたのだ。
残り五分。國枝は流量を絞り、息苦しさに耐え始める。能登は牧瀬が平然としているのを見て混乱し、逆に呼吸を速めた。
「罠だ。あとで窒素が入る」
「入れるなら、規則か説明に書く」
牧瀬は壁際の小さな紙片を示した。入室前から揺れていた換気検査用の薄紙だ。空気がなくなる仕掛けなら、最初に密閉音か圧力変化がある。何もない。
終了ベル。
《牧瀬、残量99.4%。國枝、11.2%。能登、0.8%》
「マスクを使わないなんて反則だ!」
能登が叫ぶ。
「ボンベを残すゲームで、ボンベを使えとは言われていない」
牧瀬は床のマスクを拾い、埃を払った。
六畳の室内にある空気は、三人が十分座っているだけで危険域へ落ちるほど少なくない。壁の酸素計も開始から二十・九を示し続けていたが、二人はボンベの残量表示ばかり見ていた。牧瀬が信じたのは勇気ではなく、目の前で一度も下がらない別の数字だった。
能登が床へ落とした説明書にも、室内ガスを置換する工程は一行もなかった。恐怖だけが、存在しない工程を書き足していた。
三人を殺し合わせたかった主催者の沈黙を背に、満タンのボンベを抱えた彼女の扉だけが開いた。