一人分から並べる皿
守屋琴瀬は、自分一人のために食器を出さなかった。夕食は鍋から直接つまみ、パンなら袋のまま食べる。皿を洗う手間が惜しいというより、一人で丁寧に食べる姿を誰かに見られたら、寂しさを認めたようで嫌だった。家族と暮らしていたころは、人数分の皿を並べるのが琴瀬の役目だった。友人を招けば好みを聞き、恋人がいたころは相手の帰宅まで待った。誰もいなくなった食卓では、自分の分だけを用意する手順が分からなかった。友人と食べる約束がなくなれば、夕食そのものを取りやめることもある。誰かが見ている日は彩りを考えるのに、自分だけの日は賞味期限の近いものから口へ入れた。
給湯管の交換で十日間だけ借りた部屋には、鷲尾詩鶴というルームメイトがいた。古文書の撮影で町へ来た女性で、食事のたびに古い花柄の皿を一枚だけ先に置いた。皿には細いひびがあったが、詩鶴は客用のきれいな皿へ替えなかった。自分の食べたいものを決めてから、琴瀬にも同じものが必要か短く訊いた。二人分ではない。必ず自分の分だけだった。
三日目の夜、琴瀬が「私は何でもいいです」と冷蔵庫を閉めると、詩鶴は花柄の皿を指で回した。
「食卓って、二人分から始めないと失礼かな」
「普通は、相手の分も用意するんじゃないですか」
詩鶴は答えず、切ったトマトを自分の皿にだけ盛った。
「明日は、あなたの皿を先に置いて。食べるものは後で決めればいい」
翌日、琴瀬は友人と夕食の約束をしていた。けれど退勤間際、「ごめん、彼が熱を出して」と連絡が来た。琴瀬は慣れた手つきで「大丈夫」と返し、コンビニへ寄ろうとした。誰にも会わない夜なら、おにぎり一つでいい。
部屋へ戻ると、詩鶴はまだ帰っていなかった。台所は静かで、棚には白、青、茶色の皿が並んでいる。琴瀬は一番奥の、縁が少し欠けた青い皿を選んだ。料理を決めてから出すはずの皿が、空のままテーブルにある。
その青を見ているうちに、以前よく作った卵焼きを思い出した。甘くない味が好きなのに、友人の前では多数派に合わせて砂糖を入れていた。
琴瀬は卵を二つ割り、塩だけで焼いた。形は端が崩れたが、切り直さなかった。花柄の皿が帰ってくる場所を空けたまま、青い皿へ盛る。
椅子を引き、琴瀬は一人分の箸を、いちばん手前に置いた。