一日遅れの影
サルメアの国では、影が昨日の心を映す。
今日笑っていても、昨日悲しかった者の影は泣く。
今日嫌いだと言っても、昨日愛していた者の影は相手へ手を伸ばす。
人々は影を見て、本音を知ったつもりになる。
薬師のサルメアと、橋守りのディオスは、川辺の町で四年暮らした。
サルメアには王都の病院から誘いが来た。
ディオスは洪水期の橋を離れられない。
「行ってほしい?」
出発二日前、サルメアが訊いた。
ディオスは、本当は一緒に残ってほしかった。
だが彼女の夢を止めたくなくて言った。
「王都でしかできないことがある」
サルメアは、本当は止めてほしかった。
けれど重荷になりたくなくて笑った。
「分かった」
その夕暮れ、サルメアの影は王都へ続く道を指していた。
昨日まで、行くと決めていたからだ。
ディオスはそれを見て、彼女の心はもう町にないと思った。
翌朝、彼は別れの荷物をまとめた。
同じ日、サルメアは王都行きを断る手紙を書いた。
だが夕暮れ、ディオスの影は橋の向こうを向き、彼女へ背を向けた。
昨日、彼女を送り出す決意をした心が映っていた。
サルメアは手紙を破った。
彼は自分と別れる覚悟を終えていると思った。
出発の日、二人は町の門に立った。
「元気で」
「あなたも」
どちらも「残って」と言わなかった。
今日の心を口にすれば、影より確かなのに、二人は相手の昨日を信じた。
馬車が動き出す。
サルメアは窓から手を振らなかった。
振れば戻りたくなる。
ディオスも手を上げなかった。
彼女が迷うと思った。
その夕暮れ、町に一人残ったディオスの影は、遠ざかった馬車を追って走った。
王都へ着いたサルメアの影は、町の方角へ両腕を伸ばした。
一日遅れで、二人の本心はようやく同じ形になった。
けれど影には声がなく、何百里も離れた相手へ届かなかった。
翌日から、二人の影は少しずつ前を向いた。
サルメアは病院で多くの命を救い、ディオスは洪水から橋を守った。
二人が別れたことで、どちらの人生も間違いにはならなかった。
ただ夕暮れになるたび、ときどき影だけが立ち止まった。
あの日、今日の心を信じず、昨日の心ですれ違った門の前で。