七十二拍の監視室

匿名作曲家〈PULSE〉のデビュー曲は、昏睡患者の脳波から作られた、と宣伝されていた。

公開場所は病院の監視室。プロデューサーの庵原朔、報道陣、そして夜勤看護師の野々瀬香苗だけが、一回限りの再生に立ち会った。

曲は毎分七十二拍。規則正しいキックに、人工呼吸器の息が重なる。

庵原はカメラへ微笑んだ。

「彼の生命を、音楽として止めないでください」

ベッドの患者は一年前から反応がない。香苗は知っていた。脳波から旋律を作れるような信号など、一度も出ていないことを。

イントロの四小節目で、彼女は別の音に気づいた。三回続く短い警告音。人工呼吸器の回路が外れた時だけ鳴る音だ。

Aメロには、庵原の靴音が入っていた。夜中に監視室へ来るたび、硬い踵を二度鳴らす。患者の家族へは「制作のため」と説明し、庵原はベッド脇で動画を撮り、無反応の手を鍵盤へ載せた。

香苗は止めようとした。そのたび彼は言った。

「止めないで」

サビが開く。七十二拍の下から、香苗自身の声が現れた。

――回路が外れています。庵原さん、触らないで。

続いて、庵原の低い声。

――少しくらい止めないと、ドラマにならない。

報道陣が息を呑む。庵原が再生卓へ手を伸ばすが、停止ボタンは消えていた。

この曲を作ったのは患者ではない。香苗だった。監視カメラから消された一分間を、別系統に残っていた機器音と通話記録で組み直し、〈PULSE〉の名で納品した。音楽として公開されれば、病院も庵原も事前に握り潰せない。

最終サビでテンポが七十二から、七十一、七十へ落ちる。患者が心停止した夜の記録と同じだった。

庵原が叫ぶ。

「止めないで!」

今度は曲への称賛でも、制作への命令でもない。自分を守るため、録音だけは止めてくれという懇願だった。

最後の一音は心拍ではなく、監視室のドアが開く音だった。

画面の作曲者欄に〈PULSE〉の本名が表示される。

〈野々瀬香苗〉

その下で、警察官が庵原へ告げる声まで、七十三拍目として録音され始めた。