三枚目の月を渡さない
月痕病にかかった者の胸には、残りの月数だけ銀の鱗が現れる。
ミオルの胸には三枚あった。
一枚が剥がれるたび一月が過ぎ、最後の一枚が落ちれば命も終わる。
恋人のラゼンには、彼女を救う方法があった。
自分の記憶を一つ鱗へ変えて渡せば、寿命を一月延ばせる。
王国の古い術だった。
「全部渡す」
ラゼンは言った。
「子どもの頃から順に。君が治るまで」
「治らない。月を足すだけ」
「何年でも足す」
「そのうち、私を好きになった理由も忘れるでしょう」
彼はすでに一枚渡していた。
失ったのは母の歌だった。
二枚目は故郷の川の匂い。
ミオルの胸には、本来の三枚に、彼の青い鱗が二枚加わっていた。
「あと一枚だけ」
ラゼンが頼む。
「何を忘れるの」
「初めて君を見た日のこと」
「だめ」
「君は覚えている」
「私が説明する恋は、あなたの恋じゃない」
ミオルは青い鱗を二枚とも剥がした。
返された記憶は、元へ戻らない。
鱗は月光の中で砕け、ただの銀砂になった。
「無駄にしたのか」
「無駄じゃない。二か月、一緒にいられた」
「なら、もっと」
「あなたの過去を燃やして私の未来を買うのは、もう終わり」
残り三か月、二人は記憶を増やさない旅をした。
写真を撮らず、土産を買わず、日記も書かなかった。
海を見て、知らない町で食べ、毎晩「今日を覚えて」とだけ言った。
二枚目の鱗が落ちた夜、ミオルはラゼンへ別れを告げた。
「最後の一月は、村の療養院へ行く」
「なぜ一人で」
「私が死ぬところを、あなたのいちばん新しい記憶にしたくない」
ラゼンは拒んだ。
けれど翌朝、彼女は旅立った。
枕元には三枚目の銀鱗を模した飾りが置かれていた。
〈これは渡しません。あなたの月は、あなたが生きるために使って〉
一月後、遠い空で月が欠けた。
ラゼンは知らせを受け取らなくても分かった。
彼は母の歌も川の匂いも思い出せない。
それでもミオルの笑い方だけは、まだ覚えていた。
最後の鱗を渡さなかったことを、長いあいだ恨んだ。
やがて自分が老いた頃、ようやく分かった。
彼女は一月の命を拒んだのではない。
ラゼンが彼女の死後を生きるための月を、一枚だけ守って返したのだ。