三角の角から
青沼美緒は、設計事務所の壁時計が午前一時を指すのを見てから、勤怠表を閉じた。
画面上では、今日の退勤は二十一時になっている。実際には四時間が消えていた。所長から渡された決まりで、月の残業が一定時間を超えそうになると、全員が同じ時刻で打刻する。
美緒も半年間、従った。若手を守るためだと言われたからだ。数字が悪ければ案件を減らされ、事務所そのものが危うくなる。そう信じて、後輩にも修正方法を教えた。
その後輩が夕方、模型室でしゃがみ込んだ。救急車を呼ぶほどではなかったが、帰り際に「私、要領が悪いんでしょうか」と笑った。美緒は違うと言えなかった。自分が消し方を教えた四時間が、後輩の能力不足に見えていた。
後輩は先月、納期に間に合わない模型を一人で直し、美緒のミスまで黙って修正した。それでも査定表には、作業速度が遅いと書かれている。記録から時間を消したせいで、努力も原因も同じように消えた。美緒は守るためという所長の言葉を、誰を守ったのか一度も確かめてこなかった。後輩の笑い声が、閉じた模型室からまだ聞こえる気がした。
机の端には、後輩が買ってきた塩むすびが一つ残っている。三角の頂点まで固く握られ、粗い塩が指先に触れた。米はすっかり冷えている。
美緒は、角を崩さないよう側面から食べる癖があった。図面も模型も、完成形をできるだけ長く保ちたい。今夜も横から口をつけかけて、やめた。
尖った頂点へ歯を入れる。米粒が数粒、未提出の訂正届へ落ちた。形は一口でいびつになったが、味は変わらなかった。
美緒は勤怠表をもう一度開いた。自分と後輩の退勤時刻を、実際の時刻へ戻す。過去三か月分の入退室記録も添付した。所長の指示だったこと、自分が後輩へ修正を教えたことも、文章にした。
塩むすびは、角から食べると早く丸くなった。美緒は残った部分を掌で支え、最後まで食べた。
訂正届に落ちた米粒を一つだけ拾い、その場所へ自分の署名をした。送信先は所長ではなく、本社の労務窓口に変えた。