二つのマグカップ

結婚して十二年、夫婦は互いの一日を知っているつもりだった。

夫は在宅で設計の仕事。

妻は郵便の配達。

「家にいる方が楽」

「外へ出れば気分転換になる」

喧嘩のたび、同じ言葉を投げた。

朝、寝ぼけて互いのマグカップから同時に一口飲んだ。

その日眠るまで、二人の体が入れ替わった。

妻の体に入った夫は、配達用の自転車へ乗った。

雨上がりの坂。

重い荷物。

急ぐ客。

表札のない家。

女性の配達員だと分かると、必要以上に説明を求める人もいた。

昼休みは十分しかなく、妻が「外は気分転換」と笑っていたのは、疲れを家へ持ち込まないためだった。

夫の体に入った妻は、静かな書斎へ座った。

楽だと思ったのは最初だけ。

画面には修正指示が次々届き、会議では顔を出さない上司から責任だけが渡された。

昼食を作ろうとしても、電話が鳴る。

夫は家にいるのに家事をしないのではなく、家にいるからいつでもできると思われ、仕事も家事も切れ目を失っていた。

夕方、二人は入れ替わった体で子どもの面談へ行った。

担任が言う。

「最近、家で気を遣っているようです」

子どもは、夫婦が互いを楽だと言うたび、どちらにも手伝いを頼めなくなっていた。

帰宅し、妻の体の夫が夕食を作った。

夫の体の妻が洗濯物を畳んだ。

互いの体なら相手の仕事が分かると思ったが、実際には一日で理解できるほど単純ではなかった。

「配達、怖かった」

夫が言う。

「会議、息が詰まった」

妻が言う。

「でも、全部分かったとは言わない」

「私も」

眠りにつくと、元の体へ戻った。

翌朝、それぞれ自分のマグカップを使った。

夫は妻の坂道を代われない。

妻も夫の会議へ入れない。

代わりに、週二回の夕食当番と、子どもの予定を共有する時間を決めた。

夫は仕事部屋の扉へ「勤務中」の札を掛け、妻は疲れた日は配達の愚痴を家へ持ち帰った。

互いの視点を知ることは、相手の苦労を採点することではなかった。

「今日はどのくらい大変だった」と、毎日違う答えを聞き直すための入口だった。