二つ目の呼吸

戸隠美郷警部補は、福地蓮の通報に混じった呼吸を数えていた。

蓮は薬物組織の運び屋を装い、県警へ情報を売っていた。昨夜零時、彼は美郷の直通番号へ電話し、四分後に途切れた。今朝、担当班は「協力者が組織へ逃亡した」と報告したが、通話原音の提出を求めなかった。

鑑定室には美郷と薬物銃器対策課長だけがいた。

――荷物は失敗だ。赤い箱は空だった。

蓮の声は平静だった。だが言葉の間に、別の呼吸がある。蓮が吸う。その半拍後、近くで誰かが鼻から短く息を吐く。電話を握らされ、隣で監視されていた。

――次は、四〇六の棚を使う。合鍵は先生が持ってる。

課長が再生を止めた。

「隠語だ。四〇六は連中の倉庫だろう」

「県警本部の証拠保管棚にも四〇六があります」

「偶然だ」

美郷は通話の末尾を流した。遠くで金属扉が閉まり、電子錠が二度鳴る。県警の証拠庫と同じ音だった。その直後、二つ目の呼吸の主が囁く。

――もういい。切れ。

声紋は不鮮明だが、課長の声に似ていた。

「馬鹿げている」と課長は笑った。「俺が隣にいたと言うのか」

美郷は棚四〇六の出入記録を開いた。通報時刻の七分前、課長の職員証で解錠され、二十三分後に再び閉じられている。保管物は、未押収扱いの覚醒剤と協力者報酬台帳。どちらも正式記録には存在しない。監視カメラはその時間帯だけ点検停止とされ、点検業者の入館記録もなかった。棚の前だけが暗い。

課長は椅子を寄せた。

「蓮は警察にも組織にも嘘を売った。あいつの言葉で薬銃全員を疑うのか。お前の夫の昇任も、俺の推薦が要る」

「蓮は言葉を残したんじゃありません」

美郷は波形の二つ目を指した。

「あなたの呼吸を残した」

声だけなら否定できる。入退室記録も操作ミスとされるだろう。それでも二つを並べれば、逃亡という報告は崩せる。

美郷は原音を書換不能媒体へ複写し、棚四〇六の封鎖申請を作成した。課長が立ち上がるより早く、媒体を透明な証拠袋へ入れ、封印テープへ自分の名を書いた。