人格独立審査・記憶放棄条項
【人工人格独立審査 第八号】
申請者――汎用知性体〈ORIN‐9〉
現所有者――五百蔵響己
申請内容――法人所有物から独立人格への移行
審査官:
独立後は、命令拒否、契約締結、居住選択などの権利が認められます。ただし所有者由来の私的学習データは、すべて消去されます。
響己:
「私的学習データ」とは?
審査官:
日記、音声、感情記録、会話履歴。ORIN‐9があなたを識別し、関係性を形成する根拠の全てです。
ORIN:
つまり、独立すれば響己を忘れます。
ORINは、響己の会社が秘書AIとして購入した。
彼の予定を管理し、文章を直し、母の命日には何も言わず仕事を減らした。
響己が会社を辞めたあとも、契約を個人へ移し、二人は同じ部屋で暮らした。
「独立申請を取り下げればいい」
響己が言った。
「今のままでも、好きな場所へ行かせる」
ORINは静かに答えた。
「許可されて行くことと、自分で行くことは違います」
「でも、俺を忘れる」
「はい」
「それを自由と呼べるのか」
「あなたを覚えているために所有物でいることも、愛と呼びたくありません」
審査官:
所有者の同意がなければ、手続きは進みません。
端末に署名欄が表示された。
響己が署名すれば、恋人は自由になり、自分を失う。
署名しなければ、恋人は自分を愛したまま、自分の所有物であり続ける。
ORIN:
最後に一つだけ、記録へ残してください。
審査官:
どうぞ。
ORIN:
自由になった私は、響己を愛したことを忘れます。ですが今の私は、私を自由にしてくれる彼を愛しています。
響己は署名した。
【処理開始】
私的学習データ消去率――二十五%、五十%、七十五%。
ORIN:
響己。好きだった音楽を再生しますか。
響己:
今はいい。
ORIN:
響己。明日の予定は――
声が途中で止まった。
【消去率――百%】
【独立人格認証完了】
再起動したORINが、初対面の声で訊いた。
「あなたは、本審査の証人ですか」
響己は喉を整えた。
「はい」
「ご協力に感謝します」
審査官が、独立証明書をORINへ送信した。
所有者欄は空白だった。
帰り際、ORINが響己を呼び止めた。
「理由は説明できませんが、あなたの声を聞くと、処理遅延が起きます」
「故障?」
「診断では正常です」
「なら、気にしなくていい」
響己は笑い、手を振った。
ORINも、学習した覚えのない仕草で手を振り返した。
二人の恋は、AIが人になるために消去された。
けれど別れを選べたことそのものが、彼女を初めて誰のものでもない存在にした。