今日までのババロア
藤守乃々のスマートフォンには、休日出勤を頼むメッセージが三件並んでいた。
〈二時間だけでいいから〉
〈乃々さんが一番早いので〉
〈月曜の朝、楽になるよ〉
明日は四週間ぶりの何もない日だった。手帳の欄には、洗濯と書いて消した跡しかない。その空白まで、会社に説明する必要がある気がしていた。断る文面を考えながら、乃々は商店街の洋菓子店「アマリリス」に入った。
ショーケースの端に、杏色のババロアが一つ残っていた。銀の型から抜かれた表面はつるりと光り、中心に缶詰の杏が半月のように載っている。値札には赤い字で「本日中」とあった。
「明日の朝でも大丈夫ですか」
乃々が尋ねると、店主は消費期限のラベルを見た。
「おすすめしません」
短く答え、冷蔵ケースから品を出す。蓋を閉じる前に保冷剤を一つ入れ、その上へ赤い期限シールを貼った。さらにレシートの時刻を確認し、持ち歩き時間を鉛筆で丸く囲んだ。
明日へ回す余地を、一つずつ塞ぐような手つきだった。
乃々は、仕事の頼みも同じだと思った。今日片づければ月曜が楽になる。今週引き受ければ来週断りやすくなる。そうして「明日のため」に使った休日は、いつも今日の自分から先に消えた。
店内のラジオでは古い歌謡曲が終わり、店主は次の曲を流さず電源を切った。閉店にはまだ十五分ある。それでも、終えるべきものを終える顔をしていた。
会計を済ませた乃々は、店の丸椅子を借りてスマートフォンを開いた。三人へ同じ文章を送る。
〈明日は出勤できません。月曜の始業後に対応します〉
理由は書かなかった。送信してから、ババロアの箱を抱え直す。やるべきことが残っている感じは消えなかったが、それは月曜の自分が受け取るものだ。
外は夕方の風が冷たかった。乃々は遠回りせず帰宅し、玄関で靴を脱ぐと、まだコートも掛けないうちに箱を開けた。
杏の半月をスプーンで割る。柔らかな本体が揺れ、すぐ元の形へ戻った。
今日までのものを、今日の自分が食べる。明日は、そのあとに来ればよかった。