保留音のない十五分
紬希はヘッドセットを外したあとも、耳の奥で保留音を聞いていた。
午前二時四十分。二十四時間対応の相談窓口は、深夜になると着信の間隔が長くなる。そのぶん一件ごとの声が濃く残った。怒り、ためらい、言い直し。切断音が鳴っても、言葉だけが椅子の周りを回っている。
休憩室では、照明が半分落とされていた。サーバーラックのファンが壁の向こうで一定に回り、空調は乾いた風を天井から送っている。窓には雨が細かく当たり、街の看板が赤と青に滲んでいた。
十五分。紬希は喉飴を探してポケットを探ったが、包み紙しか出てこなかった。
机の中央に透明な瓶がある。中には色の違う飴がいくつか入り、蓋に付箋が貼られていた。
「声を使った人へ」
日付も名前もない。
紬希は黄色を一つ取った。レモン味。包みを開く音が、機械の低音より近く聞こえた。
休憩室の隅には、通話練習用の古い電話機が置かれていた。受話器はコードで本体につながれ、もう回線は生きていない。紬希はときどきそれを見て、誰にも届かない番号なら話せるだろうかと思う。今夜は受話器を取らず、飴の包み紙を丁寧に四角へ畳んだ。言わないことにも、置いておける形がある。
壁際のモニターには、勤務中の担当者が色の丸で表示されている。緑が対応可能、赤が通話中、灰色が離席。別フロアの誰かの丸が、赤から灰色へ変わり、しばらくして緑へ戻った。その人もどこかで水を飲み、肩を回し、十五分を終えたのだろう。
チャット欄に一行だけ流れた。
「三階、雨の音すごいです」
すぐに業務連絡へ押し上げられた。返事はなかった。
紬希も返さなかった。ただ窓を見た。こちらの雨も同じ強さで、ガラスを均等に叩いている。
ファンが回る。
空調が回る。
飴が舌の上で小さくなる。
誰かの声を受け止める仕事なのに、自分の声を置く場所はないと、紬希はときどき思う。けれど今は、声を使わない十五分が空白ではなく、喉を休ませる形に見えた。
休憩終了の表示が点滅する。
紬希は瓶の蓋を閉め、付箋の端を指で押さえた。席へ戻る前に、窓の雨を一度だけ録音しようかと思い、やめた。
聞いていたことは、自分が知っていればいい。今夜の静けさは、それだけで足りていた。