傷のない治癒師
フィオラの治癒記録には、ほとんど何も残らなかった。
蒼灯ギルドの治癒師たちは、傷を塞げば光る腕輪を持つ。だがフィオラは刃が届く前に薄い膜を張り、毒が回る前に呼吸を整え、転ぶ前に足元の石を弾いた。傷そのものが生まれないため、腕輪は沈黙した。
公開された貢献度は三%。
隊長エドヴァは、無傷で帰った班員を並べて言った。
「治す傷がないなら、お前はいらない。俺たちが強い証拠だ」
フィオラは反論せず、治癒師章を返した。翌朝の遺跡攻略には同行しなかった。
遺跡の回廊で、いつもの小石が飛んだ。誰も気に留めなかった小さな罠は、フィオラの膜がなければ頬を裂く。続く毒霧は喉を焼き、階段の揺れは隊列を崩した。班員たちは傷を負って初めて、今まで傷がなかった理由を知った。
救難鐘が鳴った頃、フィオラは街の診療所で包帯を畳んでいた。蒼灯の紋章が震えても、彼女はすぐには立たなかった。
「追い出した相手へ、助けを命令するのですか」
駆け込んだ副隊長は膝をついた。
「命令ではない。頼む。俺たちが間違えた」
フィオラは診療所の子どもたちを見てから、外套を取った。
遺跡へ着くと、彼女は負傷者を叱らず、膜を広げた。毒霧が割れ、落石が逸れ、帰路だけが静かに守られる。エドヴァは担架の上で、自分の腕輪が激しく光るのを見た。治す者は目立つ。傷を生ませない者は、見えない。
帰還すると、蒼灯の管理核が治癒記録の定義を更新した。治癒した傷だけでなく、防がれた傷、止められた毒、避けられた転落がフィオラへ帰属する。
ギルド長は元の章を差し出した。
フィオラは受け取らず、言った。
「同じ席では、また見えなくなります」
班員たちは、自分の無傷を誇った日のことを思い出して俯いた。フィオラの腕輪が光らないたび、働いていないと決めつけていた。その沈黙こそ、最大の成果だったのだ。
彼女は新しい医療規程へ、治療より先に予防を置いた。危険な命令を止める権限も加える。
「私を評価し直すだけでは足りません。次の見えない仕事が、また切り捨てられます」
若い治癒師たちは、古い評価表を自分たちの手で破った。
《生命保全・真正査定》
旧評価 三% → 真値 九十六%
総合貢献順位 首位:フィオラ
役職更新 末席治癒師 → 防衛医療長
隊長エドヴァ → フィオラ保護下の療養員