六桁の乗車地点

タクシー配車アプリのデータ許諾会議で、八坂井麻琴は地図処理を請け負う会社のエンジニアとして、経路データの匿名性を説明する役を任されていた。

買い手は消費者金融のマーケティング会社。契約書では、乗降場所を五百メートル四方へ丸めた統計データ百二十万件を提供するとされていた。許諾料は四億円だった。

麻琴は納品予定CSVを見て、説明を始められなかった。緯度と経度が小数点以下六桁まで残っている。誤差は数十センチ。五百メートルどころか、建物の入口まで分かる。

配車会社の事業部長は、画面表示だけ細かく、買い手側では自動的に丸められると答えた。

麻琴は契約別紙を示した。匿名化処理は「提供者が実施する」とある。買い手へ渡した後の処理ではない。

一件の経路を地図へ重ねると、午前九時に自宅を出て、十時にがん専門病院、午後に債務相談窓口へ寄り、夕方に同じ自宅へ戻っていた。氏名がなくても、毎週同じ家から乗る一人を特定できる。

部長は、位置情報だけでは顧客情報ではないと押し切ろうとした。

麻琴は処理ログを開いた。四桁へ丸めるプログラムは用意されていたが、実行欄が「false」になっている。実行するとデータ価値が下がるため、営業責任者が前夜十一時四十三分に無効化していた。変更承認には本人の電子署名がある。

上司からは、許諾が決まれば地図会社にも追加発注が来ると聞かされていた。麻琴はそれでも、自分の処理確認印を押さなかった。

「六桁のまま売るなら、匿名という四文字を消してください」

買い手の審査モデルには「病院頻度」「債務相談訪問」「深夜歓楽街」という列があり、該当者の広告単価を変える式が組まれていた。五百メートルに丸めれば作れない列だった。麻琴はモデルの作成時刻が、六桁データの試験提供直後であることも示した。

消費者金融側の法務担当が契約書を閉じた。六桁の乗車地点が、一人の生活を四億円の地図へ載せる決裁を止めた。