内側から掛ける閂
戦が終わった翌月、聖女セレネは「もう祈る必要がない」と修道院を出された。
与えられたのは、辺境の痩せ地と、扉の閉まらない廃屋だった。
風が吹くたび、玄関扉はぎい、と勝手に開く。蝶番の下側が外れ、戸板も湿気で歪んでいた。夜になれば小動物どころか魔物まで入りかねない。
セレネは家中を見回した。屋根にも穴がある。床も抜けそうだ。だが最初の日に救えるのは一つだけでいい。
今日は、扉を閉める。
扉の表には古い爪痕があり、下端には雨で黒くなった染みがあった。前の住人も、何度この扉を押し戻したのだろう。セレネは傷を削り落とさなかった。閉まるようにするだけで、過去まで白く塗り替える必要はない。
修道院では、誰かが入室するときにノックをしたことなどなかった。聖女の部屋は国のもの、聖女の時間も国のものだった。だからセレネは、壊れた蝶番を外し、錆を落とす作業を妙に丁寧にした。
納屋で見つけた馬蹄を火で炙り、金槌で叩いて金具に作り替える。かん、かん、と乾いた音が夕暮れの野へ響いた。戸板の膨らんだ部分は鉋で削り、削り屑を指で払う。
金槌を振るううち、掌に豆ができた。治癒の光を使えばすぐ消せるが、セレネはそのままにした。誰かに祈らされてできた傷ではなく、自分の暮らしを作ってできた痛みだった。
扉を持ち上げ、蝶番へ戻す。
今度は音もなく閉じた。
セレネは内側に立ち、木の閂を滑らせた。ことん。その小さな音だけで、廃屋の中と外が初めて分かれた。
暖炉では、野草と鶏肉のスープが煮えていた。蓋を開けると湯気が頬を包み、刻んだ香草の青い匂いがした。
直したばかりの扉を、外から三度叩く音がした。
「王命です。疫病の兆しがあり、聖女殿に帰還を――」
セレネは返事をしなかった。使者を嫌っているわけではない。ただ、スープは今が一番おいしい。王都は何年も彼女の空腹を待たなかったのだから、今夜くらい王都が待てばいい。
木椀を両手で包む。
閂はきちんと掛かっている。誰も許しなく入ってこない。
セレネは湯気の向こうで微笑み、外からの王命より、内側で待つ夕食を選んだ。