出張鞄の二枚の特典券

佐久本莉世は、福岡出張の予定表に一つだけ書いていない行程があった。金曜の商談後、声優ユニット〈TWIN HALO〉の地方公演へ行く。土曜の朝便で帰れば、会社には知られない。

同行する課長の葛城史歩には、「昔の友人と夕食を」と伝えた。嘘ではない。ライブ会場で会う仲間は、五年付き合っている友人だ。ただし、莉世が普段は黒いパンツスーツなのに、会場では推しの小日向ユエと同じ銀色のリボンを結ぶことまでは言わなかった。

ホテルで荷物を受け取ると、黒いキャリーケースの鍵が開かない。よく見ると、持ち手の傷が違う。史歩のものと取り違えたらしい。

慌てて部屋を訪ねると、扉の向こうで史歩も同じ顔をしていた。二人は廊下でケースを交換した。その拍子に、莉世の半開きの蓋から銀のリボンと特典券が二枚落ちる。

同時に、史歩のケースから同じ公演の公式パーカーがのぞいた。背中には小日向ユエの名前が大きく印刷されている。

「友人との夕食?」

「課長こそ、ホテルで資料整理では」

二人はしばらく黙り、先に史歩が笑った。

「席は?」

「二階の後方です」

「私は一階端。同行はしないほうが気楽ね」

同じ推しが分かったからといって、上司と部下で連番する必要はない。その距離感に莉世はほっとした。

問題は、商談先との懇親会が予定より延びたことだった。先方の役員が二軒目を提案する。莉世は断る言葉を探したが、史歩が先に立った。

「明朝の便が早いので、弊社はここで失礼します」

ホテルへ戻るタクシーの中で、莉世は礼を言った。

「私のライブのために、すみません」

「私のライブでもある。それに、勤務後の時間を守るのに理由の格付けはいらない」

会場前で二人は、それぞれ別の入口へ向かった。史歩は公式パーカー、莉世は銀のリボン。開演直前、同じ曲のイントロに別々の席で立つ。

月曜、出張報告書の備考欄には、莉世が〈懇親会は一次会まで〉と明記した。もう「友人との夕食」という薄い覆いは足さなかった。鞄には、二枚の特典券のうち一枚を、折れないよう透明ケースへ入れて持ち歩いた。