十三小節目の署名
大聖堂に新しい賛歌が満ちると、参列者は総立ちになった。
作曲者として祭壇前に立つマルツァン司教は、両腕を広げて喝采を受けた。
「神が私に授けた旋律です」
合唱席の最後列で、写譜修道女エルネア・シスルは楽譜を閉じた。あの旋律は、疫病で家族を失った夜に彼女が書いた。司教は試唱を聞くなり原譜を取り上げ、名前だけを書き換えたのだ。
式後、枢機卿が原譜を掲げた。
「これほどの聖歌なら、聖典庫へ納める前に作曲者の魂印を刻むべきでしょう」
マルツァンは微笑んだ。魂印は本人の作品であると神前に誓う儀式だ。盗作を疑われているとは思わず、むしろ権威が増すと考えたらしい。
「喜んで」
彼は十三小節目へ指を置き、自分の名を唱えた。
楽譜が白く燃えるように輝いた。
聖堂用の羊皮紙は、一番最初に旋律を記した者の鼓動を覚える。正しい作曲者が触れれば金の音符が浮かび、違う者が魂印を重ねれば、改変履歴をすべて読み上げる。
鐘にも似た声が響いた。
――初筆、エルネア・シスル。
一小節目から十二小節目まで、彼女の名が光る。十三小節目だけ、別の記録が赤く浮かんだ。
――作曲者名を削除。命令者、マルツァン。
さらに、司教自身が原譜へ吹き込んだ声まで再生された。
『写譜係が名曲を書いたところで、誰も信じぬ。私の名なら国中が歌う。感謝しなさい』
参列者の視線が一斉に祭壇へ集まった。
「これは、信仰を広めるための判断で――」
マルツァンが弁明しようとすると、枢機卿は十三小節目を指した。
「あなたは今、自ら魂印を刻み、記録を真実と認めました」
エルネアは泣かなかった。聖堂の高い天井へ、自分の旋律が自分の名とともに戻ってくるのを聞いていた。
沈黙のあと、少年合唱団の一人が十三小節目を歌い直した。今度は指揮者がエルネアを見て拍を待つ。彼女が小さくうなずくと、旋律は先ほどよりも澄んで天井へ昇った。歌の終わりに起きた拍手は、もう祭壇へ向いていなかった。
枢機卿が黒い法衣の袖から教令を取り出す。
「マルツァン司教。聖名の詐称と権能の悪用により、ただいまをもって聖職を解く」