十六歳のログ削除

 十六歳になると、子どもは家庭記録の削除権を得る。

 誕生日の朝、娘は迷わず〈全消去〉を選んだ。

「待って」

 母は端末へ手を伸ばした。

 家庭記録には、居間のカメラが保存した十六年分の映像がある。初めて歩いた日。歯が抜けた夜。父の肩で眠った遠足帰り。

 父は娘が七歳のとき事故で亡くなった。

「私の失敗まで全部残ってる。喧嘩のたびに『昔は素直だった』って再生するの、もう嫌」

「それは謝る。でも、お父さんの映像も消えるのよ」

「だから残せって言うの?」

「違う。けど、あの人が動いてる記録は、ほかにほとんどない」

 画面には選択肢が並んだ。

〈親の閲覧権を解除〉

〈本人記録を消去〉

〈家族共有領域へ移動〉

 娘は最後の項目を開いた。共有領域へ移すには、映っている全員の同意が必要だった。亡くなった父の同意欄だけが灰色になっている。

 母は言った。

「消していい。あなたが息苦しいなら、思い出を理由に閉じ込めたくない」

 娘は母を見た。母の顔は、父の葬儀の日の映像より老けていた。

 全消去の確認まで、残り三十秒。

 娘は検索欄へ〈父 二人だけ〉と入力した。

 七歳の夏の映像が出た。母が夜勤の日、父と娘が台所で失敗したホットケーキを食べている。

『お母さんには秘密な』

『秘密はだめだよ』

『じゃあ、帰ったら一緒に怒られよう』

 画面の外で、現在の母が笑った。

「知ってた。流しに生地がついてたもの」

 娘はその映像だけを共有領域へ移した。母と娘が同じ権限で見られ、口論の証拠には使用できない設定にした。

 残りは削除した。

 赤ん坊の泣き声も、運動会も、父の後ろ姿も、光の粒になって消えた。

 母は目を伏せたが、「ありがとう」とは言わなかった。娘の権利を、母への贈り物にしないためだった。

 その夜、娘は自分の端末を食卓へ立てた。

「撮るよ」

「何を?」

「十六歳からは、勝手に残されるんじゃなくて、自分で残す」

 録画が始まった。

 二人は並び、うまく笑えなかった。母が「昔はもっと素直に笑った」と言いかけ、口を押さえた。

 娘は吹き出した。

 それが、新しい家庭記録の最初の映像になった。