午前二時の休憩室
救急外来の休憩室で、英莉は紙コップの水を飲んでいた。
午前二時。次の巡回まで十一分。向かいの椅子へ郁人が座り、黙って自販機のミルクティーを置いた。
「いらない」
「今夜で最後だから、受け取って」
郁人は来週から別の病院へ移る。
二年前、英莉が処置室で呼吸を乱した夜、背中をさすらず、励ましもせず、ただ同じ床に座ってくれたのが彼だった。それ以来、苦しい夜ほど彼を探してしまう。
好きだと言えない理由は一つ。これは恋ではなく、助けてくれた人を失いたくないだけかもしれない。その違いを確かめられないまま縋るのが怖かった。
英莉は意識して郁人と別の休憩時間を選び、勤務表で名前が隣り合えば交換を頼んだ。それでも、廊下ですれ違うと歩幅が揃った。患者の家族からもらった飴を一つ余らせると、無意識に彼のロッカーへ入れていた。弱い夜だけを支えてもらったのではない。けれど、その事実を認めるほど、今度は彼がいなくなる怖さが大きくなった。休憩室の蛍光灯は一本切れ、二人の間だけ薄暗かった。
「顔色、悪いよ」
「眠いだけ」
「この二年、俺と二人になると毎回それ言う」
「夜勤なんだから当然でしょ」
廊下でストレッチャーの車輪が鳴り、また遠ざかった。あと八分。
「異動願い、俺から出した」
英莉は紙コップを置いた。
「どうして」
「俺がいるせいで、英莉が一人で立てないと思ってるなら、いったん離れたほうがいい」
「眠いだけ」
二度目は、否定するには弱すぎた。
「助けたつもりはないよ」
「じゃあ何」
「好きな人の隣にいただけ」
時計の秒針が、逃げる時間を削っていく。英莉は胸の奥を確かめた。苦しいときだけではない。売店の新商品を見たときも、患者が退院したときも、最初に伝えたいのは郁人だった。
休憩終了のアラームが鳴る。
「眠いだけじゃない」
三度目だけ、言い直した。
「だから今夜、一人で帰るのは嫌」
英莉は先に立ち、職員用シャトルの時刻表を裏返した。
始発まで使える休憩申請票を二枚取り、片方を郁人の前に置く。ミルクティーの蓋を開けると、まだ少し温かかった。