午前四時の交代ノート

 母の看取りをめぐり、姉と弟は三年ぶりに同じ家へ戻った。

 姉は昼、弟は夜を担当した。顔を合わせると昔の喧嘩が始まるため、枕元に交代ノートを置いた。

〈十八時、薬。水を二口。熱なし〉

〈二十三時、眠れず。昔の歌を少し〉

〈朝食は無理に勧めないこと〉

〈分かってる。指示が多い〉

 姉は、弟が遠方へ逃げたと思っていた。

 弟は、姉が母を独占したと思っていた。

 母はときどき目を開け、どちらにも同じことを言った。

「仲良くしなくていいから、帰らないで」

 ある夜、弟はノートの後ろから古いページを見つけた。

〈姉へ。あの子は仕事を辞めて戻ろうとしている。止めたのは私〉

〈弟へ。お姉ちゃんは疲れている。でも助けてと言えない。怒らないで〉

 母が、二人へ渡せず書いた手紙だった。

 午前四時、姉が早く交代に来た。

「読んだ?」

「うん」

「私、あんたが何もしてないと思ってた」

「俺も、姉ちゃんが自分だけで決めてると思ってた」

「実際、決めてた」

「実際、逃げてた」

 二人は小声で笑った。

 母の呼吸が乱れた。姉は体位を直そうとし、弟は看護師へ電話をかけた。電話の向こうで「そばで声をかけて」と言われた。

「何を話す?」

「交代ノートの続き」

 弟がペンを持った。

〈午前四時十二分。姉、早く到着〉

〈弟、電話は落ち着いてできた〉

〈母、二人の声を聞いているはず〉

 姉が書き足した。

〈喧嘩は保留。期限なし〉

 母の口元が、わずかに動いた。

 二人は左右から手を握った。姉の手は昼の温度、弟の手は夜の冷たさを残していた。母の手の中で、その二つが初めて同じ場所に並んだ。

「帰らないよ」

 どちらが言ったのか分からなかった。

 夜が明ける前、母は静かに息を引き取った。

 ノートの最後のページを、二人で半分ずつ書いた。

〈午前四時四十一分。母、旅立つ〉

〈姉と弟、在室〉

〈次の交代は不要〉

 しばらくして、弟が最後の一文を足した。

〈ただし家族当番は継続〉

 姉は赤ペンで丸をつけた。

 母が残したのは仲直りではない。

 同じ家から逃げずに話し続ける、最初の当番だった。