午前零時の温度
食品包装会社の特許実施許諾会議で、淡路谷遼は試験室の夜勤補助として末席にいた。新しい酸素吸収シートは、温度六十三・八度で樹脂を混ぜると性能が倍になる。発明者は研究所長の弓削とされ、遼の名はどこにもない。
弓削の発明ノートには、二月八日午前零時三分、「六十三・八度で粘度急減。多層化を着想」と記されていた。取締役は、その時刻が遼の報告より早いことを強調した。
遼は試験機の監査ログを開いた。六十三・八度に達したのは午前零時十七分。それまでは五十九度台で、粘度の急減も起きていない。
「零時三分に、この温度は分かりません」
弓削は、経験から予測したのだと答えた。
遼は前夜十一時五十四分のメールを投影した。彼が弓削へ送った試験案で、「六十三・八度付近まで上げ、多層化する」と書いてある。弓削は十一時五十六分に開封していた。
問題はそれだけではなかった。発明ノートの時刻欄は手書きだが、ページ認証の電子印は午前零時三十一分。認証前なら本文を自由に書き足せる。しかもインクの乾き方から、時刻と着想の二行だけが後筆だった。
弓削は机を叩いた。
「夜勤補助が研究所の信用を壊すのか」
遼は、実施料率を記した契約書を見た。売上の四パーセント。その技術が広がれば食品廃棄が減ると信じていた。だからこそ、嘘の発明者名で始めたくなかった。
「壊したのは温度ではありません。時計です」
許諾先の社長が契約書から万年筆を離した。六十三・八という一つの数字を、零時三分へ運ぶ方法はなかった。
許諾先の技術顧問は、温度の違いが偶然でも発明の本質は多層構造だと助け舟を出した。遼は自分のメールの添付図を開いた。三層の並び、矢印の向き、層番号の書き損じまで、弓削の発明ノートと一致している。零時三分に独自着想したなら、他人の誤字まで先回りすることはできなかった。
実施許諾の決裁は、試験機が本当にその温度へ達した十七分まで戻された。