受取人は死亡しています
粟津圭吾は毎朝、駅前の店で同じ缶コーヒーを買う。棚から取り、出口で顔を上げれば決済は終わる。財布を持たない生活は、もう七年目だった。
その朝は、扉が開かなかった。
《決済不能。受取人は死亡しています》
圭吾は笑って店員を呼んだが、店員は青ざめて後ずさった。端末には死亡時刻まで表示されている。昨夜二十三時十二分。確認映像では、病室らしい白い壁を背にした圭吾が、ゆっくり目を閉じていた。
死亡登録の規則は一つだけだ。本人判定を通った死亡確認は、保険金詐欺を防ぐため三十日間取り消せない。生き返ったという申立てこそ、最も疑わしいからだ。
「見れば生きてるって分かるだろ」
「亡くなった方の顔を使った投影かもしれません」
店員は非常ボタンへ指を置いた。
圭吾は妻の菫へ電話した。呼び出し音のあと、すぐにつながった。
『どうしたの?』
「俺が死んだことになってる」
沈黙があった。短すぎて、かえって長く感じた。
『……そう』
「驚かないのか」
『今朝、保険金が入ったから』
圭吾は店のガラスに映る自分を見た。ひげも、眠そうな目も、昨夜菫と喧嘩したときのままだ。
「誰が映像を送った?」
『本人確認は通ったんでしょう』
菫の声は妙に落ち着いていた。圭吾は家へ向かった。現金を使えるバスはなく、二時間歩いた。玄関カメラに顔を向けると、赤い線が頬をなぞった。
《死亡者の外見を使用した侵入を検知》
中から菫がのぞき窓を開けた。目が合ったのに、鍵は動かなかった。
「俺だ」
「圭吾は昨夜、死んだの」
「ここにいる」
「保険会社にそう言ったら、入金を戻さなきゃいけない」
玄関脇の端末へ、死亡確認映像が再生された。画面の圭吾は、最後に菫の名前を呼んでいた。本物の圭吾が一度も使わない、優しい呼び方で。
扉の向こうで、電子署名の音がした。
《死亡保険金の受領を確定しました》
菫はのぞき窓を閉じた。圭吾の顔をした死者だけが、家の中に残った。
圭吾の端末には、本人宛ての広告が一件だけ届いた。《ご遺体の顔を自然に再現する葬送プラン》。見本写真には、家の中で笑う彼自身が使われていた。