古本屋の雨宿り
航平が古本屋へ入ったのは、本が欲しかったからではない。
突然の夕立に追われ、軒のいちばん近い店へ逃げ込んだだけだった。狭い店内には天井まで本が積まれ、湿った紙と木の棚の匂いがした。
店番の青磁は、濡れた航平を見ても何も言わず、入口に古新聞を広げた。
「傘、ないの」
「朝は晴れてたので」
「この季節の晴れは、午後まで責任を持たないよ」
航平は笑い、本棚の間を歩いた。雨音はトタン屋根で大きくなり、ページをめくる音を消している。
一冊の児童書を見つけた。子どもの頃、図書室で何度も借りた冒険物語だった。表紙の角が丸くなり、鉛筆で旧姓らしい名前が書かれている。
開くと、森を歩く主人公の挿絵に、小さな傘が描き足されていた。本来は雨の場面ではない。昔の読者が心配して持たせたのだろう。
「落書きですね」
「そういうのは消さない」と青磁は言った。「本が歩いてきた跡だから」
航平はその本を買った。代金を払う頃、雨脚は弱まっていた。青磁が忘れ物の傘を一本貸してくれた。色褪せた緑で、骨が一本曲がっている。
「返すついでに、また何か買って」
家へ着き、濡れた靴を脱いで本を開く。窓の外では雨が細く続いている。描き足された傘の下に、鉛筆で小さく〈これでだいじょうぶ〉とあった。
航平は温かい茶を淹れ、最後まで読んだ。紙は雨気を吸ってわずかに波打ち、めくるたび古い図書室の匂いがした。
翌週、航平は傘を返しに行った。青磁は礼も言わず、本棚の上を指した。そこには雨の日に読む本だけを集めた小さな棚ができている。航平が買った児童書も、読み終えたら置いてよいという。彼は手放さず、代わりに別の一冊を選んだ。店の外ではまた細雨が降り、緑の傘を返した帰りは自分の傘を差した。鞄の中の本から、紙と古い雨具の匂いがした。
曲がった傘の骨があった場所だけ、航平の肩は少し濡れていた。その冷たさを感じながら歩くと、鞄の中の物語の傘が、代わりに大きく開いているようだった。