吊り革は揺れつづける
乗客が降りても、吊り革はしばらく揺れていた。
皐月の正面で、白い輪が前へ、後ろへ、少しずつ小さく動く。隣の輪も、その隣も、同じ方向へ遅れてついていく。車輪の回転が速くなると揺れは大きくなり、駅へ近づくと静まった。
終電の車内には四人いた。誰も吊り革を使っていない。座席には広い間隔を空けて、一人ずつ夜を置くように座っている。
皐月は、大学時代の友人とのチャットを開いたままにしていた。最後に会ったのは一年前。「また近いうちに」と送り合い、その近いうちは来なかった。今夜、友人の結婚報告が共有され、祝福の言葉が次々並んだ。皐月もおめでとうと送った。返信についた小さなハートを見て、関係が続いているとも、終わったとも言えない気持ちになった。
トンネルへ入ると窓が黒くなり、吊り革の輪だけがガラスへ重なった。前へ、後ろへ。戻りきらないうちに次の揺れが来る。
一つ先の座席にいた女性が立ち上がった。降りる支度をしながら、誰もつかんでいない吊り革を一つだけ指で止めた。白い輪は手の中で静まり、女性が離すと、また小さく揺れ始めた。
意味のある動作ではなかったのだろう。目の前で揺れていたから触れただけかもしれない。女性は皐月を見ず、ドアの前へ進んだ。ホームへ降りるとコートの襟を立て、雨の光の中へ消えた。
車内に残った輪は、もうほとんど動いていなかった。
皐月は友人への追加メッセージを書きかけた。「落ち着いたらご飯行こう」。以前と同じ約束になる気がして、送らずに閉じた。会いたくなった日には、その日の言葉で誘えばいい。今夜、関係の形を確かめなくてもよかった。
電車がカーブへ入る。吊り革が一斉に傾き、皐月の髪も肩から滑った。止まったものも、また揺れる。揺れているからといって、壊れているわけではない。
終点まであと二駅。皐月はスマートフォンを鞄へ入れた。白い輪が戻ってくるたび、目で一度だけ追った。今夜の寂しさを誰かとの約束で固定しなくても、揺れたまま一人で座っていられた。