名字を呼ぶ放送
午前一時四十分、営業部のグループチャットに、葛生漣から写真が送られてきた。
【漣】
乗り過ごした。無音橋って駅、知ってる?
写真には、照明の消えたホームと「無音橋」の駅名標が写っていた。路線図を検索した同僚たちは、そんな駅はないと返した。
【同僚】
昔の怪談まとめに似たのある
構内放送で自分の名字を呼ばれても振り向いてはいけない、だって
【漣】
名字くらいで?
【同僚】
フルネームじゃなく名字だけなのが大事らしい
振り向くと、呼んだ側が先に日常へ戻る
漣は意味が分からないと笑うスタンプを送った。
ホームの端に、電気の消えた駅員室があった。壁の忘れ物一覧には、傘や鞄ではなく、名字だけが日付順に貼られている。最も新しい紙は空白で、インクがゆっくり滲み始めていた。スピーカーが一度だけ砂を噛み、女の声で告げた。
『葛生さま。白い傘をお忘れです』
漣は白い傘など持っていない。前を向いたままチャットへ打ち込んだ。
【漣】
今呼ばれた
すぐ後ろで、濡れた靴が一歩近づいた。
『葛生さま。こちらをご確認ください』
同僚から着信が入った。その着信音と放送が重なり、反射的に漣は振り向いた。
誰もいなかった。ただ、駅員室の窓に、スーツ姿の男が背を向けて立っていた。漣と同じ鞄を持ち、右肩だけ雨に濡れている。男は窓の中から改札の方へ歩き、闇に消えた。
やがて電車が来た。漣は会社近くの二十四時間営業の店で朝まで過ごし、そのまま出勤した。
午前八時五十八分、社員証を入館ゲートにかざす。
赤いランプが点いた。
《葛生漣様は入館済みです》
警備員に頼んで履歴を開いてもらうと、午前五時四十四分に同じ社員証が使われていた。監視映像には、漣と同じスーツの男が映っている。男は顔を一度もカメラへ向けず、右肩だけ濡れていた。
その時、営業部のチャットに新着が出た。
【漣 05:44】
今、無音橋で名字を呼ばれた
絶対に振り向くな
漣のスマホから送られた記録だった。
入館ゲートの液晶が再び光った。
《先に入館した葛生漣様を本人として登録しました》
ロックが外れ、ゲートは漣を外へ押し戻す方向に開いた。