名札の裏側

北見澄佳は、展示会の受付で一日中「北見さん」と呼ばれていた。

白いシャツに会社の名札。来場者へ資料を渡し、製品番号を説明する。週末のイベントで「リリカ」と呼ばれ、黒い魔女の衣装で杖を振る自分とは、声の高さまで違っていた。

午後、公式カメラマンがブースへ来た。

レンズを下ろした彼は澄佳の顔を見て、目を丸くした。先日のイベントでは、澄佳の杖の角度まで褒めてくれた人だった。今日は名刺を下げ、取引先の腕章をつけている。互いに別の顔で再会したのだ。

「リリ――」

澄佳の背中が固まる。

隣では同僚の矢部が来場者リストを整理していた。

カメラマンは一拍で言葉を変えた。

「……リリース予定の新製品、ご担当の方ですよね。撮影位置を相談しても?」

偶然に見えるほど滑らかだった。

撮影が終わると、彼は人のいない通路で小声になった。

「先日の夜市イベントで撮らせてもらいました。驚かせてすみません」

「いえ、助かりました」

「会社では別のお名前ですものね」

澄佳は胸元の名札を握った。会社の名札をつける日は、リリカの投稿を見ないようにしていた。

別の名前。そう言われると、どちらかが借り物のようだった。

ブースへ戻ると、矢部が缶コーヒーを差し出した。

「さっきの人、知り合い?」

ごまかす言葉を探していると、矢部は続けた。

「答えたくなければいい。ただ、うちの姪が黒い魔女の写真を待ち受けにしてる。衣装の作り方動画も見てた」

澄佳は息をのんだ。

矢部は慌てて手を振った。

「本人かどうかは言わなくていいし、社内で話題にもしない。聞く権利ないから」

守られたまま黙ることもできた。

けれど澄佳は、名札のケースを外した。裏には、先日のイベントで使った参加証が挟まっている。捨てられず、誰にも見えない側へしまっていた。

「姪御さんに、次の動画も上げるって伝えてください」

「じゃあ」

「リリカは私です。でも、秘密にしてくださいじゃなくて、勝手に広めないでください。私が話したい人には、自分で話します」

矢部は真面目にうなずいた。

澄佳は会社の名札とイベント参加証を、表裏ではなく二枚重ねにしてケースへ戻した。