四声目の空席

卒業式で歌う「旅立ちの日に」は、四部合唱だった。

けれど三年一組の並びには、一人分の空席があった。

理央は冬の手術で声帯を傷め、声が出せなくなった。退院は間に合ったが、歌うことはできない。本人は「口パクなら全国大会」と笑った。詩織は笑えなかった。

合唱委員だった詩織は、練習のたびに理央のアルトを探した。少し低くて、語尾だけ息が混じる声。入学式の日、校歌を間違えて隣の詩織を笑わせた声。文化祭前、音程の取れない男子へ根気よく付き合った声。

本番直前、理央は列から外れ、保護者席の端へ座った。

「ここにいれば、みんなの顔が見えるから」

それが理由だった。

前奏が始まった。詩織は壇上からクラスを見渡した。緊張でこわばった顔の向こうに、理央がいる。膝の上で両手を組み、まっすぐこちらを見ていた。

一番のサビ。アルトが旋律を支える箇所で、詩織は決めていた通り、指揮棒をほんの少し止めた。

一拍。

音楽としては不自然な空白だった。けれど、その瞬間、理央が右手の指で膝を四回叩いた。

とん、とん、とん、とん。

練習の合図だった。理央がいつも、入りのタイミングを教えるときの癖。

詩織は息を吸い、指揮を再開した。三つの声が重なった。足りないはずなのに、体育館の天井が押し上げられるほど豊かに響いた。

歌い終えると、拍手が降った。詩織は礼をしながら、保護者席を見た。理央は泣いていた。声のない口で、はっきり言った。

――歌えた。

式後、教室で最後のホームルームが終わると、理央が小さな録音機を詩織へ渡した。

「手術前に録った。卒業式で流そうか迷ったけど、やめた」

「どうして?」

「今日のほうが、ちゃんと私がいたから」

再生すると、理央のアルトが流れた。少し低くて、語尾だけ息が混じる、懐かしい声。

詩織は窓を開けた。校庭から卒業生の笑い声が入ってきて、録音の歌声と重なった。

四声目は空席にあったのではない。

あの一拍の沈黙に、確かに立っていた。