四月一日の婚約者

潮路町では毎年四月、観光宣伝のため〈一か月婚約体験〉を行う。

抽選で選ばれた男女が、婚約者のふりをして町の食堂や温泉や写真館を紹介する。

麦倉ひよりと赤城野杜和は、抽選箱へ同じ番号札が二枚入っていたせいで、誤って組まれた。

「運命ですね」

司会者が言った。

「事務ミスです」

二人は同時に答えた。

ひよりは巡回人形劇団の舞台監督。

杜和は町で祖母の蜜柑畑を継ぐ予定だった。

五月になれば、ひよりは一年半の海外巡業へ出る。

最初の週、二人は宣伝写真のときだけ腕を組んだ。

二週目には、撮影外でも一緒に昼食を食べた。

三週目、偽物の婚約指輪を外さなくなった。

「四月三十日までだから、気楽ですね」

ひよりが言う。

「五月一日から嫌いになれる?」

「努力します」

「仕事熱心だ」

二人は笑った。

町の人々は「本当に結婚すればいい」と囃した。

劇団の仲間も、巡業を辞めればと冗談を言った。

祖母は畑へ二人分の作業手袋を用意した。

運命のいたずらは、出会わせるところまでは上手だった。

その先の生活までは、用意してくれなかった。

最終日、市役所前で婚約解消式が行われた。

宣伝用の台本には、明るく別れ、来年の参加者を募集する台詞が書かれている。

司会者が訊く。

「一か月の感想は?」

杜和は台本を閉じた。

「好きになりました」

観客が拍手する。

ひよりは笑顔のまま、少しだけ泣いた。

「私もです」

「巡業、やめない?」

「杜和は畑をやめる?」

「やめない」

「では、おあいこ」

遠距離を続けることもできた。

けれど杜和は祖母と畑を、ひよりは劇団の仲間と舞台を、相手への我慢として抱えたくなかった。

一か月の偶然を、どちらかの人生を曲げる命令にはしなかった。

二人は指輪を返却箱へ入れた。

ひよりの指には薄い跡が残った。

「五月一日になったら?」

杜和が訊く。

「元婚約者です」

「元恋人では?」

「そこまで正式だった?」

「ひどいな」

「知ってる」

翌朝、ひよりを乗せた劇団のトラックが町を出た。

杜和は蜜柑畑の坂から手を振った。

彼女も荷台から、見えなくなるまで振り返した。

抽選番号の誤りは、報告書では訂正された。

それでも四月の町の写真には、事務ミスとは思えないほど幸せそうな二人が残った。

運命は二人を間違えて結び、正しい場所へ戻した。

間違いだったのは組み合わせだけで、好きになった一か月まで偽物ではなかった。