土は足音を飲み込む
私は、図書館前の花壇の土だ。
雨が降れば重くなり、晴れれば乾く。人間の足音は、縁石の向こうを忙しく過ぎていく。
毎朝、始発前に一人の女性が来た。
病院の清掃員らしい。夜勤を終えた制服のまま、ペットボトルの水を私へ注ぐ。花全部には足りない。入口の三株だけだ。
「今日も、ここまで」
そう言って帰る。
昼には、杖をついた男性が来る。女性が濡らした場所を指で確かめ、乾いた続きをじょうろで満たす。
二人は会ったことがなかった。
夏の終わり、女性が来なくなった。
入口の三株は、朝になると葉を下げた。男性はいつもより遠くまで水をやったが、腕が震え、途中で休んだ。
三日目、図書館員が男性へ声をかけた。
女性は仕事中に倒れ、しばらく入院するという。図書館で本を借りる人ではなかったが、毎朝の姿を職員が覚えていた。
男性は翌日から、小さな札を立てた。
〈朝の三株を水やりしてくださる方へ。
今は私が代わります。戻ったら、続きをお願いします〉
札を読んだ小学生が、水筒の残りを一株へ注いだ。
犬の散歩中の人が、空き瓶で二株。
開館前の図書館員が、ホースを少し延ばした。
私は、いくつもの足音を飲み込んだ。水の量も容器も違った。勢いよく一度に注ぐ人も、表面が流れないよう何回かに分ける人もいた。それでも最後には、根の近くまで湿り気が届いた。
秋、女性が戻ってきた。
以前より歩くのが遅く、手には杖があった。入口の三株へ近づくと、土がすでに濡れていることに気づいた。
札の裏には、何人もの字があった。
〈今日は一本〉
〈雨なので休み〉
〈また明日〉
女性は男性と初めて会った。
「私が勝手に始めただけなのに」
「私も勝手に続けました」
二人は笑い、ベンチへ並んだ。
その朝、誰も水をやらなかった。
夜の雨で、私は十分に湿っていたからだ。
親切とは、毎日同じことをする決まりではない。
土へ触れ、今日必要かを確かめ、必要なら自分のできる分だけ注ぐこと。
私は声を持たない。
それでも乾けば、花の葉を通して知らせる。
人間たちは近ごろ、その小さな合図を、以前よりよく聞くようになった。