境界線を越えた洗濯物

上の階から水が落ちてきたのは、真帆が風呂上がりにアイスを食べ、理世が家計簿をつけているときだった。

天井の染みが広がり、ぽたり、と居間のラグへ落ちる。

「管理会社」

理世が電話をかける。真帆は洗面器を置いた。二分後、廊下から子どもの泣き声がした。

上階の住人は、二十代くらいの女性と三歳の娘だった。洗濯機の給水管が外れ、床が水浸しになったらしい。女性は濡れたパジャマで何度も頭を下げた。

「うちで待っててください」

真帆が言った。

理世はすぐに反対した。

「管理会社が来るまで廊下でいいでしょ。うちも被害を確認しないと」

真帆は人を家へ入れることにためらいがない。理世は、生活の境界を曖昧にするのが嫌いだ。同居を始めるときも、来客は前日までに連絡する、と契約書のようなルールを作った。

子どもが、濡れた袖を口に入れた。

理世はため息をつき、玄関のタオルを一枚渡した。

「十五分だけ。ラグには乗らないでください」

十五分は一時間になった。修理業者は渋滞で遅れ、上階から運び出された衣類とタオルが廊下に積まれた。真帆はそれを抱えて浴室へ運ぶ。

「うちの洗濯機で脱水だけしよう」

「他人の物を?」

「このままじゃ乾かないよ」

理世はまた反対しかけた。けれど、女性が一枚ずつ絞る手を見て、洗濯ネットを出した。色物と白物を分け、ポケットを確認する。

真帆が洗濯機へ詰め、理世が容量を半分に減らす。子どもには古いTシャツを着せ、床には新聞紙を敷いた。

二人の考えは最後まで一致しなかった。真帆は「今夜は泊まってもらえばいい」と言い、理世は「保険会社の手配したホテルが先」と言った。それでも、濡れた物を放っておかない点だけは同じだった。

理世は物干し竿の間隔を測り、真帆はハンガーを近所から借りてきた。居間を他人に明け渡す気はない理世も、今夜だけソファを壁へ寄せた。真帆は礼を言わず、その空いた場所へ新聞紙を追加した。

脱水が終わるまで、四人で床に座った。子どもはアイスの木の棒を並べ、女性は管理会社と話し続けた。

終了音が鳴る。

真帆と理世は同時に立ち上がり、重く絡まった洗濯物へ手を伸ばした。