夜勤明けの卵粥
榛葉祐真が父の部屋に入ると、暖房は二十八度、伸文は毛布を三枚かぶって震えていた。近所の大家から「新聞が二日たまっている」と連絡が来なければ、祐真は来なかった。
「救急車を呼ぶ」
「ただの風邪だ」
「三十九度四分は、ただではない」
看護師の息子に診られるのが嫌なのか、疎遠な息子に弱った姿を見られるのが嫌なのか。伸文は顔を背けた。祐真は窓を少し開け、解熱剤の箱と飲酒量を確認した。
流しには空き缶がなかった。代わりに、以前なら酒が並んでいた棚へ薬袋が日付順に置かれている。だから許せるわけではない。母の通夜で酔って倒れたことも、祐真の国家試験の日に電話を寄こさなかったことも、棚が片づいただけでは消えない。
「病院は明日の朝。今夜は水分」
「命令するな」
「患者はみんなそう言う」
「俺は患者じゃない」
「じゃあ体温計、返せ」
伸文は脇に挟み直した。
祐真は米を研いだ。卵を溶き、葱を刻む。父の包丁は刃が鈍く、葱がつながった。研ぎ石の場所を尋ねると、伸文は寝床から「流しの下、右」と答えた。家を出て七年経っても、場所は変わっていなかった。
卵粥を差し出すと、伸文は三口で匙を置いた。
「まずい」
「味覚が死んでるだけ」
「卵が固い」
「文句が出るなら大丈夫だな」
祐真は床に座ったまま、次の検温時刻まで眠った。目を覚ますと、自分の肩に父の上着がかかっていた。伸文はまだ熱っぽい手で、診療所の予診票を書いている。
「字、震えてる」
「見れば分かる」
住所、生年月日、既往歴。最後の欄で鉛筆が止まった。
緊急連絡先。
伸文は祐真の携帯番号を書いた。番号を確認しなかった。七年前から変えていないことを、どこかで確かめていたらしい。続柄の欄だけ空けたまま、用紙をテーブルに置く。
「そこも書けよ」
「お前が書け」
祐真は鉛筆を取った。しかし何も書かず、用紙を二つ折りにして自分の鞄へ入れた。朝、診療所へ持っていくために。