婚約破棄に乾杯を

「ミレーヌ、お前との婚約を破棄する」

建国祭の夜、王太子ジェラールは広間中に響く声で宣言した。隣には、新しい婚約者ラヴィナ。二人は同じ勝ち誇った笑みを浮かべている。

「最後に、過去の縁へ乾杯しよう」

差し出された杯を見て、ミレーヌは笑った。赤い酒の底で、銀粉のような毒が揺れている。飲めば肺が結晶化する〈月葬〉。婚約破棄の恥に耐えられず自害した、という筋書きまで用意されているのだろう。

「喜んで」

彼女は飲み干した。

ラヴィナが扇の陰で数を数える。ジェラールは列席者へ悲しげな顔を作り始めた。だが一分たっても、ミレーヌは倒れない。むしろ唇についた酒を指で拭い、味を確かめた。

「少し甘すぎますね」

「強がりはよせ!」

王太子が叫んだ瞬間、ラヴィナの顔色が変わった。卓布に落ちた一滴が、銀の皿を白い結晶へ変えていたからだ。毒は入っている。偽物でも、すり替えでもない。

「なぜ生きているの……?」

ラヴィナの手から扇が落ちた。毒を選び、銀皿で効力を試したのは彼女自身だった。客席では、先ほどまでミレーヌを嘲っていた貴族たちが、王太子からそっと距離を取っていく。毒殺の失敗ではない。毒殺の事実そのものが、広間全員に見つかったのだ。

「私も、つい先月まで知りませんでした」

ミレーヌは胸元の鑑定票を開いた。長年〈我慢〉とだけ表示され、社交界で笑われてきた固有技能。その説明文には、ただ一行あった。

《受け入れた苦痛を、所有物として保持する》

ジェラールは腰の儀礼剣を抜いた。毒殺が失敗した以上、事故に見せかける余裕はない。

「化け物め!」

剣身に王家の雷が走る。彼は渾身の一撃をミレーヌの胸へ振り下ろした。閃光と煙が二人を包み、貴族たちは壁際まで逃げる。

煙が晴れる。

ミレーヌは杯を持った同じ姿勢で立っていた。雷も斬撃も、痛みとして受け入れた瞬間、彼女の所有物になっていた。

「殿下。贈り物はお返しします」

指先で剣に触れる。保持されていた衝撃が、寸分違わず刃へ返った。

王家の儀礼剣が砕けた。