宛先のない絵葉書

伊吹は二十五歳の誕生日を、山あいの町の郵便局で迎えた。契約更新の書類は鞄に入ったまま。ここで働き続けるつもりも、出ていく勇気もなく、返事の期限だけが三日後に迫っていた。母は「安定していて安心」と言い、局長は来年度の当番表にもう伊吹の名前を書いている。誰も命令していないことが、かえって断りにくかった。夜には出版社の求人を保存するのに、翌朝になると夢だったように削除した。

閉局間際、旅人が絵葉書を一枚持ってきた。夏の砂漠に雪だるまが立っている、季節のつじつまが合わない写真だった。旅人自身も麦わら帽子に毛糸の耳当てをつけ、腰には小さな郵便受けを提げている。

「切手をください。宛先は、まだありません」

「宛先がないと送れません」

「では、先に差出人を書きます」

旅人は裏面に名前ではなく、「まだ決めていない私」と書いた。

伊吹が困っていると、旅人は窓口のボールペンを借り、もう一枚の白い葉書を差し出した。

「行きたい場所ではなく、今の自分から届いてほしい場所を書いてください」

「それは同じでは?」

「同じなら、迷わないでしょう」

旅人は切手を一枚だけ買い、宛先のない葉書を胸の郵便受けに落とした。からん、と乾いた音がした。

翌朝、伊吹は白い葉書を制服のポケットから見つけた。昨夜、何も書けないまま持ち帰ったのだ。窓口には更新書類の提出用封筒が置かれ、局長の印鑑が隣にある。

昼休み、伊吹は町を見下ろす坂の上へ行った。遠くの線路は、山の切れ目で見えなくなる。行きたい場所ならいくつも思いつく。海のある町、夜まで開く本屋のある町、誰も自分の子ども時代を知らない町。どれも旅行の願望としてなら口にできるが、暮らす場所として言えば、今の生活を否定するように聞こえた。

けれど、届いてほしい場所は一つだった。

伊吹は葉書の宛名欄に、県外で求人を出している小さな出版社の住所を書いた。通信欄には、自分の住所でも近況でもなく、「応募書類を請求します」とだけ記す。

坂を下り、赤いポストの前に立つ。契約更新を断ったあとのことは、まだ何も決まっていない。

伊吹は切手を貼り、締切より先に、白い葉書を投函した。