家を壊したのは母ではない
母が離婚届を置いた日、私は母を恨んだ。
父は暴力を振るわない。酒にも溺れない。毎月給料を入れ、家族旅行もした。
「何が不満なの」
高校生だった私は言った。
「家族を壊さないで」
母は理由を詳しく話さなかった。
「もう、夫婦ではいられないの」
父は泣き、「母さんの気持ちが落ち着くまで待つ」と言った。親戚も父に同情した。私は父の家に残り、母とは半年会わなかった。
大学進学の書類を探していたとき、父の机から通帳を見つけた。
母名義の給与が、毎月全額父の口座へ移されている。母のカードの利用明細には、昼食代まで赤ペンで理由が書かれていた。
押し入れには、母が受けた研修の辞退届。父の字で〈家庭の都合〉とある。母の友人から届いた手紙は、封を切られたまま束ねられていた。
「これは何」
父は困ったように笑った。
「家族を守るために管理してただけだ。母さんは金にだらしないし、友達に影響されやすい」
「母さんが決めたの?」
「夫婦なんだから、俺が分かる」
その言葉を、私は以前にも聞いていた。
進路。服。友達。父はいつも、私のためだと言って決めた。母は横で黙っていた。
母へ電話した。
「どうして言わなかったの」
「あなたに、お父さんを憎む役をさせたくなかった」
「私は母さんを憎んだ」
「うん」
その一言だけで、母は泣いた。
離婚後、母は小さな部屋で暮らしていた。家具は少なく、食器も二枚しかない。それでも冷蔵庫には、値段を説明しなくていいケーキが入っていた。
「家を壊したのは母さんじゃなかった」
私が言うと、母は首を振った。
「壊した人を一人に決めなくていい。私は長く黙り、あなたを残して先に出た」
「逃げたかったんでしょう」
「逃げることが必要な家もある」
私は母の家へ移らなかった。父ともすぐ縁を切らなかった。
ただ父が「母さんへ言ってくれ」と頼むたび、断った。自分の進路も、自分で決めた。
卒業式には母を呼んだ。父には別の日に写真を見せた。
家族は元へ戻らなかった。
けれど私は、崩れた家の下に埋まったままではなく、母とそれぞれの場所から立ち直ることを選べた。