家出の送迎
午前二時、玄関で靴を履いていると、背後で父が言った。
「家出か」
「散歩」
「リュックに貯金箱を入れて?」
私は黙った。模試の判定は最低、母とは喧嘩、部活も辞めた。家の中にいるだけで、失敗の音がする気がした。
父は車の鍵を取った。
「送る」
「普通、止めるでしょ」
「行き先は?」
「決めてない」
「では、家出初心者向けコースで」
連れて行かれたのは、海でも駅でもなく、二十四時間営業の大型スーパーだった。
「何ここ」
「遠くへ行くなら食料がいる」
父は買い物かごへ歯ブラシ、靴下、絆創膏を入れた。私は意地になって、一番安いパンと水を選んだ。
「寝る場所は」
「公園」
「雨の場合は」
「屋根の下」
「先客が怖い人だったら」
「別の場所へ行く」
「携帯の充電は」
「……うるさい」
会計前、父は全部を棚へ戻した。
「本気で追い出したいわけじゃない。困るところを一緒に考えたかっただけ」
車はそのまま郊外へ向かった。着いたのは、閉鎖された小さなボウリング場だった。
「高校二年のとき、俺はここまで家出した」
「近い」
「所持金六百円だったからな」
父は、祖父に進路を否定され、夜中に飛び出したという。朝までベンチで震え、結局、自分から帰った。
「帰ったら負けた気がしなかった?」
「した。でも、帰れる家を持ってるやつにしか、できない負け方もある」
空が薄くなるまで、駐車場の縁石に座った。父は模試のことも母との喧嘩も聞かなかった。ただ、自販機の温かいココアを半分ずつ飲んだ。
「帰る」と私が言うと、父はすぐには立たなかった。
「送迎は片道の契約だった」
「じゃあ歩く」
「追加料金は?」
「六百円」
父は笑って車を開けた。
帰宅すると、母が玄関に座っていた。怒る代わりに、私のリュックを抱いた。父は「初心者コース、無事終了」と報告し、母に睨まれた。
私は家出をやめたわけではない。
行きたい場所ができたら、いつか本当に家を出る。進学でも仕事でも、たぶん何度も失敗する。
ただ、その朝から、出ていくことと、帰れなくなることは別だと知った。
父は今でも、私が夜に靴を履くと聞く。
「送迎、要るか」
私はたいてい断る。
それでも鍵の音がするだけで、道が少し短くなる。