家紋が鳴る夜

響紋国の貴族は、胸に家の音を宿す。

王家は鐘、セレヴァ家は竪琴、ノルグ家は角笛。

七つの家の音がそろうことで、北の氷壁は春まで崩れずに保たれる。

リュシェは、竪琴の音を継ぐ最後の娘だった。

恋人のオルダンは、家紋を持たない地図描きだった。

二人は国境を測る旅で出会い、三年を共にした。オルダンが笑えば、リュシェの胸の竪琴は勝手に一音鳴った。けれど家紋のない者との子には、音が継がれない。

冬至の前、評議会はリュシェへ告げた。

角笛の家の後継と結婚し、次代の奏者をもうけよ。

拒めば、彼女の死後、氷壁を守る六音しか残らない。

「国なんて捨てよう」

オルダンは地図を広げた。

「南へ行けば、家紋を知らない町がある」

「氷壁の向こうには十万の人が住んでいる」

「君一人の人生を、十万で割るのか」

「割れないから苦しいの」

その夜、二人は祖先の間へ忍び込んだ。

壁には歴代当主の紋章が並び、リュシェが近づくたび、古い竪琴の音が重なった。

「この人たちが君を縛ってる」

「違う。私もこの音が好き。母が弾き、祖母が守った。嫌いなら逃げられた」

「俺より?」

「比べられないものを、どちらか一つにするのが家柄なんでしょう」

オルダンは彼女の胸へ耳を当てた。

竪琴の音の下に、かすかな鼓動がある。

「その音は、家のものか」

「これは私のもの」

「なら覚えておく」

夜明け前、リュシェは別れを告げた。

オルダンは南へ向かう地図を一人分だけ描き直した。

婚礼の日、七つの家紋が宮殿で鳴った。

鐘、竪琴、角笛。

民は氷壁が守られると喜んだ。

遠い南の砂漠で、オルダンは風の中に一音の竪琴を聞いた気がして立ち止まった。

地図の余白へ、誰にも読めない小さな印を描く。

それは家紋ではなかった。

旅の途中で一人の女性が笑った場所を示す、彼だけの記号だった。

リュシェは国へ音を残した。

オルダンは彼女を家柄ではなく、一人の人間として覚え続けた。

二人が別れたことで守られた国は、二人が失ったものを、永遠に知らなかった。