寝坊してもパンはふくらむ

 久世原凛太は、開発した小さなアプリが大手企業へ買われたあと、働くのをやめた。

 遊んで暮らせるほどの大金ではないが、家賃の安い町なら十年は大丈夫だろうと計算した。友人の篠目佳生は「十年後に考えればいい」と言い、週三回ほど昼食を食べに来る。

 凛太の家には、パン焼き機がある。

 前夜に材料を入れ、朝八時に焼ける設定にする。問題は、二人とも八時に起きないことだった。

 佳生が十一時に来ると、台所には冷めたパンが四角く座っていた。

「焼きたてを食べる計画は?」

「夢の中では成功した」

「目覚ましは?」

「鳴った形跡がある」

 凛太の携帯は布団の下で電池切れになっていた。

 二人は冷めたパンを厚く切り、フライパンで焼き直した。

 バターを落とすと、表面がじゅっと鳴る。片面へ蜂蜜、もう片面へ塩を少し。

「これ、朝食?」

「時刻としては昼食」

「起床後だから朝食」

「ではブランチ」

「無職が言うと洒落た逃げに聞こえる」

 二人は四枚食べた。

 午後、次こそ焼きたてを食べる方法を話し合った。

 予約を正午にする。

 焼ける音を最大にする。

 パン焼き機を寝室へ置く。

「最後のは、小麦粉の粉塵で寝室が終わる」

「匂いで起きるかも」

「夢の中で食べるだけ」

 結局、設定を午後三時にした。

 二人はその時刻まで、古いゲームをした。対戦するつもりが、途中で操作を忘れ、説明書を読むうちに昼寝をした。

 午後三時。

 パン焼き機の終了音で、二人は同時に目を覚ました。

 蓋を開けると、白い湯気と小麦の甘い香りが部屋へ広がる。パンの上は少しへこみ、完全な形ではなかった。

「起きた」

「人間もパンも」

 佳生が熱い耳をちぎり、凛太が珈琲を淹れた。

 窓辺で焼きたてを食べる。

 外では小学生が下校し、遠くの工場から終業の鐘が聞こえた。

 二人の一日は、世間よりずっと遅い時間に始まったようだった。

「明日は何時に焼く?」

「午後二時」

「一時間ずつ早める計画?」

「十日後には朝」

「その頃には飽きる」

 それも十分ありえた。

 凛太は残ったパンを布で包んだ。

 何かを成し遂げる予定はなくても、材料を入れて待てば、部屋に温かな匂いが生まれる。

 二人は二杯目の珈琲を飲み、まだ柔らかなパンの耳を、誰が最後に食べるかだけ真剣に相談した。