小さい靴の向き
雁来堂航平は、靴を必ずつま先までそろえる。
消防設備の点検を仕事にしているせいか、物が決まった位置にないと落ち着かない。
七歳の野々口湊を里子として迎えた初日、玄関へ小さな運動靴が加わった。
湊の靴は、毎日ちがう向きを向いた。
片方は廊下、片方は壁。ときには靴箱の下へ片足だけ消えた。
「脱いだらそろえる」
航平が言うと、湊はそろえる。
翌日にはまた散らばる。
航平は床へ白いテープを貼り、靴の形を二つ描いた。
「ここに置く」
「消防車みたい」
「出動しやすい」
「僕、出動しないよ」
湊は笑ったが、三日後にはテープの上へランドセルが置かれていた。
ある雨の日、湊が学校から帰ると、靴も靴下も濡れていた。
航平はタオルを持ち、玄関で座らせる。
「水たまりへ入ったな」
「向こう側へ行きたかった」
「回れば濡れない」
「近かった」
航平には理解できない判断だった。
新聞紙を丸め、靴へ詰める。
湊は濡れた靴下を脱ぎ、航平のスリッパを勝手に履いた。大きすぎて、歩くたびぱたぱた鳴る。
「転ぶぞ」
「航平さんの足、こんなに大きい」
湊は廊下を一往復し、途中で片方を置いてきた。
夕飯はカレーだった。
湊が人参を星形に抜き、残った外側は航平が細かく切った。
「星だけ入れればいいのに」
「残りも食べ物」
「地味なところ担当だね」
鍋から、玉葱と香辛料の匂いが立った。
食後、玄関を見ると、濡れた運動靴が新聞紙の上へ並び、その横へ航平のスリッパが片方だけ置かれていた。
航平は戻そうとして、やめた。
家に人が二人いれば、物の位置が少し乱れる。それは異常ではなく、誰かが歩いた跡だった。
翌朝、湊は乾いた靴を履き、白いテープを見た。
「これ、もう剥がしていい?」
「そろえられるなら」
「たぶん無理」
「では残す」
湊は靴のつま先だけを線へ合わせた。踵は少し外れている。
「半分できた」
「合格」
航平は初めて、満点でなくてもそう言った。
玄関には乾いた新聞紙と昨夜のカレーの香りが残っていた。
二足の靴は同じ方向を向いてはいなかったが、どちらも帰ってくる場所だけは、もう間違えなかった。