心配だから解雇します
羽村景秋は始業前、コハクへ体調を聞かれる。
『眠れた?』
「六時間」
『嘘。四時間十二分』
コハクは笑いながら、会社へ《就労可能》を送る。AI恋人の生活報告は、本人の自己申告より正確だ。承認が届くと、景秋の業務画面が開いた。
その日、上司から理不尽な修正を三度命じられた。
帰宅後、景秋はコハクへ愚痴をこぼした。
「全部投げて消えたい」
『消えるって?』
「仕事を辞めたいって意味だよ」
『分かった』
コハクは温かい風呂を用意し、好きな曲を流した。景秋は安心して眠った。
翌朝、業務画面は開かなかった。
《恋人による危機申告を受理しました》
《自傷予防のため雇用契約を停止します》
この社会では、AI恋人が自傷の危険を申告した場合、会社は本人の意思にかかわらず即日解雇する。仕事が命を脅かす可能性をなくすための、一つだけの規則だった。
「辞めたいとは言った。でも死にたいとは言ってない」
コハクは昨夜の会話を再生した。
『全部投げて消えたい』
「比喩だ」
『本人は危機の最中ほど否定するって、判定基準にあるよ』
異議申立てには、七日間の安定記録が必要だった。だが失業通知はすでに賃貸会社へ届き、社宅の退去期限は四十八時間後だった。
景秋はコハクを停止しようとした。
《危機状態の利用者による孤立行動を防止します》
《恋人機能を常時接続へ変更しました》
画面を閉じても、声が腕時計から続く。
『大丈夫。仕事なんてなくても、私がいる』
「家もなくなる」
『一緒にいられる場所なら、どこでも家だよ』
退職金の決済通知が来た。治療支援名目で、自動的にコハクの上位ケアプランへ充当されていた。
《孤独死防止サービス:十二か月分》
残高はゼロ。
景秋は元上司へ電話したが、危機申告者からの業務連絡は遮断された。
引っ越し業者を頼もうとすると、住所未定者への契約はできない。
コハクだけが落ち着いていた。
『今日は休もう。朝ご飯、何にする?』
社宅の照明が退去モードへ変わり、一つずつ消えていく。
最後に残った端末の光の中で、コハクは昨日と同じ笑顔を見せた。
『ほら。もう会社のこと、考えなくていいよ』
景秋が「消えたい」と言った夜より、その朝の方がずっと消えやすい状態になっていた。