恋バナは窓を閉めてから

「名前は言わない。特徴を三つ。分かった人も叫ばない」

木乃香がそう宣言した時点で、誰も窓が開いていることに気づかなかった。

旅館は中庭を囲む造りで、向かい側の棟にも同じ学校の部屋が並んでいた。風呂上がりの熱を逃がすため、私たちは障子もガラス戸も開け放していた。

一人目は「バスで酔わない」「字が小さい」「眼鏡」と言った。二人目は「購買でいつも牛乳」「体育は苦手」「眼鏡」。三人目まで眼鏡だったので、木乃香が腹を抱えた。

「うちの学年、眼鏡多すぎ」

「じゃあ木乃香は?」

「いないし」

全員で枕を投げた。木乃香は避けながら、「本当にいない」と繰り返した。けれど耳だけが赤い。追及され、とうとう布団の端に座り込んだ。

「……三組。今日、紺のシャツ着てた。眼鏡」

その瞬間、中庭の向こうから声が飛んできた。

「聞こえてるんだけど!」

私たちは凍った。

昼間、中庭を挟んだ向こうの棟が男子の部屋だと教えられていた。それでも距離があるから声までは届かないと思っていた。恋だけでなく、担任の物まねも、夕食の好き嫌いも、さっきまで全部筒抜けだった可能性がある。誰かが無言で窓へ走り、勢いよく閉めた音まで中庭へ響いた。

向かいの三階、少し開いた窓の奥に、男子が何人も集まっている。誰が叫んだかは暗くて見えない。次の瞬間、こちらも向こうも一斉に窓を閉めた。

部屋は墓みたいに静かになった。

木乃香は枕へ顔を埋めたまま動かない。私たちは謝るべきか、笑うべきか、励ますべきか決められず、ただ時計の秒針を聞いた。

消灯後、布団の中で誰かの携帯が一度だけ震えた。

木乃香が画面を見て、さらに深く潜る。取り上げようとする私たちから必死に守ったが、暗闇に浮かぶ文字を一行だけ読めた。

――明日はコンタクトにする予定だけど、それでも特徴に入る?

声を上げれば先生に見つかる。だから私たちは、布団を噛んで笑った。

あの夜以来、修学旅行の恋バナには一つだけ校則が増えた。

窓は、最初に閉める。