拍手を一瓶

商店街の楽器店の裏に、「拍手、量り売り」と書かれた小窓があった。

人前で演奏すると指が震える学生は、発表会のために一瓶買った。

店主は空き瓶へ見えない音を詰め、栓をした。

「開ければ、あなたが一番ほしい瞬間に拍手が起きます」

「代金は?」

「今日中に、誰か一人を心から褒めてください。お世辞なら瓶は割れます」

学生が最も褒めたくない相手は、同じ発表会で演奏する同級生だった。

いつも堂々として、先生にも期待されている。

練習室で会うと、相手も何度も同じ小節をやり直していた。

「音がきれい」

言おうとして、言葉が薄すぎる気がした。

瓶の中で小さなひびの音がした。

学生はしばらく聞いた。

同級生の演奏は完璧ではない。

それでも間違えたあと、最初から弾き直さず、その場所から音楽へ戻る。

自分なら恥ずかしくて手を止めるところだ。

「失敗したあとも、曲を続けられるの、すごいと思う」

瓶のひびが消えた。

同級生は驚き、

「あなたは、音が小さくなっても最後まで雑にならない」

と返した。

褒められる予定はなかったので、学生は何も言えなくなった。

発表会本番。

学生は三小節目で音を外した。

客席が息をのむ。

鞄の中には拍手の瓶がある。

今開ければ、失敗を覆い隠す大きな音が起きる。

けれど練習室の言葉を思い出した。

間違えた場所から、次の音を探した。

指は震えたまま、曲を最後まで続けた。

最後の和音が消えた。

静寂。

学生は瓶の栓へ手をかけた。

客席の端で、同級生が最初に拍手した。

一人分の音。

それに先生、家族、知らない人の音が重なった。

学生は瓶を開けなかった。

帰り道、小窓へ返そうとすると、店は普通の楽器倉庫に戻っていた。

仕方なく家で栓を抜いた。

中から、拍手ではなく、練習室で同級生が言った言葉が聞こえた。

「最後まで雑にならない」

買った拍手は、外から自信を足す音ではなかった。

誰かを本当に見たとき、自分も見てもらえた記憶を残す瓶だったらしい。

翌年、学生は後輩の発表会へ行った。

演奏が止まりかけた瞬間、誰より先に拍手はしなかった。

曲が終わるまで待ち、最初の一人になった。