放課後の百円玉
自販機の下へ百円玉が転がった。
しゃがんで手を伸ばしても、指先が届かない。
「諦めたら?」
後ろから言ったのは、クラスで一番よく早弁をする人だった。
「百円だよ」
「百円だから」
「お金持ちの発言」
「違う。そこ、たぶん虫いる」
私はさらに腕を入れた。
その日の昼、財布に残っていたのは百三十円だけだった。家の事情で小遣いが減り、部活帰りの買い食いも断っていた。誰にも言っていない。今日だけは喉が渇き、炭酸を買おうとした。
百円玉は見えるのに取れない。
後ろの人が自販機を軽く揺らした。
「壊す気?」
「助ける気」
硬貨は動かなかった。
彼は自分の百円玉を入れ、私が押そうとしていたボタンを押した。缶が落ちる。
「貸し」
「いらない」
「じゃあ、僕が飲む」
彼は缶を開け、一口飲んだ。それから私へ差し出した。
「飲みかけはもっといらない」
「潔癖?」
「そういう問題じゃない」
彼は黙って隣のボタンを押した。もう一本落ちた。
「二本買うなら最初からくれれば」
「奢ると怒るだろ」
「怒る」
「だから、これは実験。百円玉を回収できたら返して」
理屈が雑だった。
二人で自販機をのぞき込み、購買の先生から長い定規を借り、最後は清掃用の箒の柄で硬貨をかき出した。
百円玉が光の中へ転がった瞬間、二人で小さく歓声を上げた。
私は拾い、彼へ渡した。
「返済」
「じゃあ飲み物は?」
「あとで返す」
「いつ?」
「給料日」
「高校生に給料日あるの?」
「バイト代が入る日」
言ってから、隠していたことを話してしまったと気づいた。
彼は何も聞かなかった。
「じゃあ来月、肉まんで」
それだけ言った。
缶を開けると、炭酸の音がした。最初の一口が喉に痛かった。
翌月、私はコンビニで肉まんを二つ買った。
一つを渡すと、彼は首をかしげた。
「百円より高い」
「利子」
「じゃあ次は僕が返す」
「終わらないじゃん」
「それでいいだろ」
私たちは校則で禁止された買い食いを、返済という名前で続けた。
百円玉一枚ぶんの事情を、全部説明しなくても隣にいられる相手ができた。